校長室の窓

2017年10月16日
 
『遊行(遊心)』のすすめ
 
『遊行』については、2学期の始業式の際、少し話をさせてもらいました。改めて、生き方のヒントとして触れておきます。
『論語』でいう「子曰く、吾十有五にして学に志す(志学)、三十にして立つ(而立)、四十にして惑わず(不惑)、五十にして天命を知る(知命)、六十にして耳順(みみしたが)う(耳順)、七十にして心の欲する所に従えども、矩を踰えず(のりをこえず 縦心)」は誰もが知る孔子の人生観です。人生の節目での在るべき姿を示しているわけですが、本当にこのように生きられるのでしょうか?はなはだ疑問です。人はいくら年を取ったとしても、迷い悩み苦しさから逃れることはできません。また、素直に人の意見に耳を傾けることはできないし(耳順にあらず)、思うままに行動し羽目をはずすこともあります(縦心にあらず)。そもそも、誰しも一度しかない人生、楽しく過ごしたいと思うのは至極当然なことです。年代ごとに示された規範を固定観念にすると息苦しさを感じます。
『遊行』という言葉があります。もともとは、インド哲学に基づくものです。ここでも、人生を4つの時期に区切っています。学生期(がくしょうき 学び成長する時期)、家住期(家族をつくり、社会で活躍する時期)、林住期(森や林で隠居して、人生を振り返る時期)、遊行期(死の準備、人生の締めくくりの時期)。
医師で作家でもある鎌田實さんの『遊行』の解釈(『遊行を生きる』)が痛快です。「自分に正直に、肩の力を抜いて、しがらみから離れて生きていく」。文字通り、「遊び、行く」ことであり、それは、人生の終焉を迎える時期に限らず、生まれてから死ぬまで一生そうあるべきだと言っておられます。英語で表現すれば、「let it be 」「let it go」のことです。
しかし、人が社会で暮らすとなると、法令やら社会規範に縛られるのも事実。行き過ぎた『遊行』が人の迷惑となる場合もあるでしょう。私が勧めるのは、『遊行』ではなく『遊心』です。遊び心があれば、常に心の余裕をもって行動ができるはずです。「失敗しても命まで取られることはない」「お金がなくても何とか暮らしていける」という開き直りを持ちたいものです。
卓球の若き天才、張本智和選手は、8月末夏休み最後の大会であるワールドツアー「チェコ・オープン」に向けて出発する際にこんなことを言っていました。
「優勝出来たらうれしい。負けたなら早く帰国できるので夏休みの宿題ができる」
まさに、これが『遊行(遊心)』です。張本選手「あっぱれ!」(張本違いか?)。
 
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2017年10月10日
 
横浜ベイスターズ Our time is now.
 
広島カープの2連覇で盛り上がるセリーグですが、DeNAの活躍も見逃せません。2年連続クライマックスシリーズ進出もさることながら、観客動員数のハイペースでの増加は特筆すべきものがあります。各年度の成績、観客動員数および座席稼働率は、2011年度第6位110万人50.4%、2012年度第6位116万人55.5%、2013年度第5位142万人66.5%、2014年度第5位156万人74.5%、2015年度第6位181万人89.9%、2016年度第3位194万人93.3%、2017年度第3位   198万人96.6%という状況です。まさに、右肩上がり。この6年間で観客動員数は1.8倍となりました。本拠地である横浜スタジアムの観客収容人数は3万弱、毎日がほぼ満席で、もうこれ以上は収容できないという飽和状態になっています。注目すべきは、成績が振るわず下位に低迷していた時でも堅調に観客は増えたことです。
なぜ、観客が増えたのか?それは、2011年度に取締役社長(2016年12月退社)に就任した池田純氏の手腕、巧みな経営戦略によるものです。一般的に、プロ野球は熱狂的なファンに支えられています。特に、タイガースファン、カープファンの時に常軌を逸する行動は話題となります。こうしたファンは応援する球団をこよなく愛し、成績に徹底的にこだわる”コアなファン”といえます。少子化、また一方で他のスポーツに押され(特にサッカー)野球離れの傾向にある昨今、”コアなファン”はどこの球団でも減少傾向です。池田氏が目指したのは”ライトなファン”(右ではなくて軽い)の獲得です。一応、球団は応援するが、野球場に行くことが楽しいと思うファンを増やすことでした。”ライトなファン”は球団の応援ではなく野球場に行くことそのものを目的としていますので、チームの成績にあまり左右されることなく球場に足を運びます。野球場自体をテーマパークとして捉え、エンターテーメント性を高めるという戦略が功を奏したということです。
それでは、横浜スタジアムにはどんな仕掛けがあるのか?花火をはじめ様々なイベントを楽しめる「YOKOHAMA STAR☆NIGHT」、ハッピーダンス、グッズ販売(無料で帽子を配ることもあり)等々。戦略のターゲットをサラリーマンとしたところも成功の秘訣でした。居酒屋に行くような感覚でビール片手に友人や家族、そして彼女と楽しく会話するサラリーマンが増えたそうです。池田氏はアメリカの球場ように「キスカム」(球場内の大画面でカップルを映し出し、彼女にキスを要求するもの)を日本でもやりたかったようですが、さすがに恥ずかしがり屋の日本人には難しいだろうと今現在は休止ということです。
横浜ベイスターズは、今現在「OUR TIME IS NOW」(すべてはこの時のために)を合言葉にクライマックスシリーズに臨もうとしています。素敵なキャッチフレーズです。なんかの機会に私もこのフレーズを使おうかと思っています。かつてロッテがシリーズ3位から日本一となり、”下克上日本一”と称されることがありました。その再現が期待されます。

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2017年10月2日
 
伝え方が9割
 
就職試験も一回戦終了。面接試験で苦労した人も多いはず。まだまだ、二回戦、そして進学試験も続いていきます。
それにしても、人に思いを伝えることは難しいものです。しかし、そこにマニュアルがあるとしたら、それに飛びつかない手はありません。
コピーライターで作詞家でもある佐々木圭一さんの著書「伝え方が9割」によれば、伝え方にはパターン化した技術があるそうです。その技術を使えば、誰でも人に思いを伝えることができる(正確には確率が高まる)そうです。著書では8つの技術が紹介され、サプライズ法、ギャップ法、赤裸裸法、リピート法、クライマックス法、ナンバー法、合体法、頂上法とネーミングされています。「伝え方が9割」は、もちろんナンバー法です。「伝え方が大切」より「伝え方が9割」のほうがより大切さが伝わってきます。就職試験での心得である「見た目が9割」も然り。これが、8割ではなく、9割であるのも肝となります。大差ないようでも9割のほうがよりインパクトがあります。一般に、こうしたナンバーは偶数よりも奇数のほうが相手に訴える力が強いようです。
私がもっとも注目したのが、ギャップ法といわれるものです。著書中に紹介されているのは次の言葉です。
「NO1にならなくていい もともと特別なオンリーワン」(世界で一つだけの花)
「事件は会議室で起きてるんじゃない! 現場で起きているんだ!!」(踊る大捜査線)
「お前の為にチームがあるんじゃねえ チームの為にお前がいるんだ!!」(スラムダンク)
「考えるな 感じろ」(燃えよドラゴン)
「美女と野獣」(ディズニーアニメ)
「最高で金、最低でも金」(田村亮子)
「海軍に入るくらいなら、海賊になったほうがおもしろい」(スティーブ・ジョブス)
  ※ルフィの言葉ではありません
どれもこれもインパクトがあります。伝えたいことと正反対のことをあえて言うことにより強いメッセージを作り上げています。企業名は省きますが、こんなのもありました。
 「我々は部品を作っているのではない、完成品を作っているのだ」(特殊鋼メーカー)
 「ネジを作っているのではない、幸せを作っているのだ」(精密機械メーカー)
 「ビルを守っているのではない、人の幸せを守っているのだ」(警備保障会社)
では、松江商業はどうかといえば、
 「知識・技術を教えているのではない、生き方を教えているのだ」
人は、1日22回お願い事をしているそうです。驚くべき数字です。話し方一つで成功の確率も高まります。伝え方の達人になるのは難しいですが、工夫はできるはずです。
 
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2017年9月25日
 
体感速度
 
先日、還暦の祝いの記念同窓会がありました。中学校の同窓会ですので、45年振りの再会となる友もいます。時の流れは容赦なく、また残酷にも中学校時代の面影をかき消すお互いの変容振りにただただ笑うばかり。また、首から上に”あったもの”が無くなったり、”なかったもの”が出来たり。照れ笑いで顔が引きつることも度々でした。それでも、話し始めれば昔の記憶がよみがえり、色あせない過去の映像が再現シーンのように脳裏をよぎることもありました。それにしても、45年という歳月はあっという間。人それぞれドラマチックな人生があったとしても、振り返ればほんの一瞬の出来事としか感じられません。
時間の速度は一定でも「体感速度」は年齢によって変わってきます。例えば、15歳の高校1年生にとっての1年は人生の15分の1ですが、60歳の私にとっては60分の1にしか過ぎません。単純に考えれば、4倍速で1年が過ぎてしまうことになります。速度ではなく時間に換算すれば、私の1年は15歳の頃の3か月分にしかなりません。今の私が4年長生きして、やっと高校生の1年分となります。君たちの立場で考えれば、高校3年間は60歳の私の12年分となります。それだけ君たちは、貴重な時間を過ごしていることになります。
見ることやること新しいことばかり。若い繊細な感受性でそれらを受け止めることとなると、一日一日が濃厚な日々となるはずです。一方、私の場合は、多少の変化はあったとしても、劇的に心揺さぶる生活の変化なり出来事があるわけではありません。むしろ、無いことを望んでいるというのが正直な気持ちです。仕事において変化なし。家庭においても、30年近く連れ添った女房といっしょの生活とあれば、変化の求めようもありません。家庭での会話はカウントすれば何十回目という話の繰り返し。ただ、優しい女房は「それ以前に聞いた」などと野暮なことは言いません(感謝!)。変化のないところでは、加速度的にただ時が過ぎ去っていくのみです。
どうして時の流れを速く感じるのでしょうか。過去生きてきた年数や変化のない生活だけが理由ではありません。我々は時間に追いかけられているからです。別の言い方をすれば、時間に我々の生活が管理されているからです。時間が来れば職場や学校に行かなければなりません。また、そこでもしっかり時間管理が行われ、場合によっては分刻みで行動を制御されることもあります。自分の時間ですから、本来なら自分で管理してもいいはずです。秋の夜長、月の満ち欠けや虫の音を楽しむ生活などついぞしたことがありません。花の成長をじっくり観賞するようなこともありません。時の流れを変わりゆく季節の風景で感ずる生活こそ、時間を自分自身で管理するということです。そうした生活を取り戻したいものです。
 
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2017年9月15日
 
鉄板あれこれ
 
16日より高校生の就職試験がスタートします。ちょうど1年前の『校長室の窓』で面接試験の心得をアップしていますのでそれを参考にしてください。そこでは、”見た目”の重要性を指摘しました。”見た目が9割”という人もいます。もちろん、美男美女のことではありません。第一印象で決まる(メラビアンの法則に基づくもの)ということを強調したフレーズです。
今一つアドバイスするとすれば、”鉄板ネタ”を持つことです。「それはおもしろい」、「よく頑張ったね」と人に言われるような話を用意してください。自分の得意とするネタ、つまり”自分の土俵で”勝負するということが大切です。面接官の質問にただ答えるのではなく、逆に自分の長所を売り込む機会を作ってほしいものです。緊張するのだから、あるいは怖くてそんなこと出来ないという人もいるかもしれません。しかし、仮に”鉄板ネタ”を披露できなかったとしても、それを用意するだけで少しは不安も解消されるはずです。
さて、自分が志望した企業に就職できれば、それは大変喜ばしいことです。ただ、就職先の決定がゴールではありません。以前(昭和の時代)は、就職することにより一定の幸せが保障されていました。終身雇用、年功序列賃金、手厚い福利厚生により、企業は家族同然の扱いをしてくれました。日本企業の家族的経営を象徴するものとして、高野山には企業墓(社員の共同墓地)なるものがあります。パナソニック(1938年松下電器産業が最古)、日産自動車、UCC上島珈琲等が有名どころです。「死んでからも社員か?」と疑問に思うかもしれませんが、社員は会社に強い帰属意識を持ち、また、企業側も社員を大切にするという企業風土がかつては存在していました。人生は”単線”とでもいえる時代だったと思います。一度、そのレールに乗っかれば行き着き先が保障されていました。
今は就職したということで一生が保障されるものではありません。終身雇用制度をはじめとする日本型経営方式が崩壊しつつあります。仮に、大企業であったとしても安心できない時代です。雇用形態の変化だけでなく、企業そのものが倒産の危機に陥るというケースもあるからです。一度レールに乗ったからといって”幸福”という駅に到着できるという保障はありません。乗換もあるかもしれません。スイッチバックを使って一度戻ることもあるかもしれません。さらには、脱線も・・・。
であれば、どうすべきか?自分を磨くしかありません。就業後も学生時代と同様に資格を取得する、見聞を深める等、自分の力量を高める努力が必要です。武器さえ持っておれば、なんとかなります。”鉄板ネタ”ならぬ”鉄板資格”あるいは”鉄板教養”でしょうか?”鉄板コミュニケーション”もあるかもしれません。それぞれが自分の”鉄板”を磨くことです。それが、まさかの時に役立ちます。人生を”複線”で考える時代になっているような気がしてなりません。
 
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2017年9月11日
 
勉強法あれこれ
 
教師の教え方が変わろうとしています。「主体的・対話的で深い学び」。アクティブ・ラーニングともいわれたりしますが、抽象的過ぎてよく分からないというのが実感でしょう。ただ、教師の講義を聞き、紙と鉛筆を使ってそれを記憶するという明治以降いや江戸時代の寺小屋で行っていた伝統的な学習スタイルが変わろうとしていることだけは確かです。
今夏、NHK高校講座Eテレ「簿記」、「ビジネス基礎」の集中講座を視聴する機会が何回かありました。NHKというとお堅い番組制作というイメージが強く、確かに教育テレビといわれた時代は先生がカメラに向かって一方的に講義するというものでした。しかし、最近は全く昔の教育番組のイメージはありません。生徒がディスカッションしてお互いの疑問を解決しようとしたり、実際のビジネスの現場を訪れ現状を分析してみたり、時にはコントを展開して分かりやすく説明したりします。視聴者を飽きさせない工夫がふんだんに取り入れられおり、大変興味深いものでした。
NHK高校講座で商業科目が放映されるのは、2年ぐらい前からです。実は、過去50年間商業科目が取り上げられることはありませんでした。時代のニーズがスポットライトを当てたのでしょう。「簿記」はビジネスの世界では『会計言語』ともいわれ、この知識がなければ企業経営はできません。自然言語(日本語、英語、ドイツ語・・・)、コンピュータ言語(Java、C、Ruby・・・)に続く第三の言語ともいわれるものです。「ビジネス基礎」は、『起業』する際の最低限の基礎知識でもあります。IT社会の進展によりビジネスチャンスが増加する昨今、『会計言語』『起業』という言葉が当たり前のように使われるようになりました。商業の科目が取り上げられる時代になったことはうれしい限りです。
今、私がもっとも楽しみにしている教育番組はEテレ「テストの花道ニューベンゼミ」です。お笑い番組感覚で視聴することができます。番組の後半でペンギンズ(芸人)のヤクザねたコント『任侠理科物語』が登場します。結構ウケます。本日11日(月)は、小論文必勝法がテーマとなっています。3年生諸君には今すぐ役立つ人もいるはずです。絶対に見てください。この番組が「テストの花道」というタイトルであった頃は『だろうかたしなよ』式小論文記述法(ネットで調べることができます)が紹介されていました。今回はどんな必勝法か楽しみ。
 
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2017年9月4日
 
一本の道
 
日の経つのは早いもの、時間は川の流れに似て、絶えず未来の世界から自分の前にあらわれて現在となり、そして、過去へと変わって消えていきます。
楽しみにしていた瑞木祭、あっという間の出来事でした。準備のために夏休み返上で取り組んだ毎日が愛おしく貴重な時間であり空間でした。終わってしまった今となっては、あっけないほんの一瞬の時であったかもしれませんが、かけがえのない大きな宝物を手に入れたという実感があるはずです。もちろん、予定通りとは行かず後悔することもあったかもしれません。それもまた、過去のよき思い出となります。
ロシアの作家チェーホフは、かつて「人生が二度あるならば、一度目は手習い、二度目は清書」と言いました(将棋の藤井4段は「二度目の人生ではないか」という”都市伝説”があるようです)。しかし、私たちが迎えては送る今日という日は、いまだかつて経験したことのない初めての今日であり、この一日を過ごしてしまえば、もう一度やり直すことはできません。毎日が、一回限りの清書です。毎日を大切にするとともに、過ぎ去った過去に良い意味での”あきらめ”をもって決別しなければなりません。過去に引きずられることなく真っ直ぐに前を向いて歩みを止めないことが大切です。
四国で高校教師であった詩人、あの森信三(『時を守り、場を清め、礼を正す』)がその才覚を見抜き後世まで残る逸材と評した坂村真民(さかむらしんみん)の『一本の道』という詩を紹介しておきます。
  一本の道
 木と草と人間と どこがちがうだろうか
 みんな同じなのだ
 いっしょうけんめいに生きようとしているのを見ると
 ときにはかれらが 人間よりえらいとさえ思われる
 かれらは 時がくれば
 花を咲かせ実をみのらせ 自分を完成させる
 それにくらべて人間は 何一つしないで終るものもいる 
 木に学べ草に習えと わたしは自分にいいきかせ
 今日も 一本の道をあるいていく 
 
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2017年8月28日
 
2学期始業式 『君の膵臓をたべたい』
 
2016年度本屋大賞第2位、そして私もファンの一人である本の映画化(ホラー映画ではありません)。およそ、どんなに演技力のある女優さんであったとしても、本を読んで作り上げた桜良(サクラ ヒロイン)像には到底敵わないと思っていました。それがなんと桜良を演じる浜辺美波さんの眩しいばかりのキラキラ感には心をわしづかみにされました。演技力云々というよりも、等身大の”今の”彼女が私の創造する桜良とピッタリだったからです。まさに、”今が旬”の女優さんの抜擢でした。また、この作品のテーマでもある「”今”、その時を精一杯生きる」を見事に演じきってもいました。正直、本を読んだときには、ヒロインは若手演技派女優松岡茉優、主人公は菅田将暉をイメージしていました。ただ、2年前ならまだしも、さすがに今の彼らの年齢で高校生を演じるのは少し無理があるかもしれません。
重い膵臓の病気で余命宣告を受けている桜良。あることがきっかけで、その秘密を知ることとなる主人公の僕。桜良の自由奔放さに振り回される不器用な僕ですが、同じ時を過ごすうちに連帯感、さらには喜びすら感じるようになります。しかし、突然の桜良の死。映画では、主人公僕の12年後からスタートし、現代の僕と高校時代に桜良と過ごした僕とのパラレルストーリーが展開されます。自分の気持ちを整理することができず大人となった僕は、桜良が死の間際、何を言いたかったのかという疑問を持ち続けたままでした。それが、ラストシーンで桜良の気持ちを知ることとなります。ちなみに、桜良は膵臓の病気で死ぬのではありません。今の世では、誰でも起こり得るものかもしれません。だからこそ、”今を大切に”というメッセージがより伝わってくる作品となっています。この作品のもう一つのテーマは、「大切な人とどう生きていくか」です。”今”その時、そして、その”人”を大切にしなければなりません。その”人”とは必ずしも恋人ではありません。実際、桜良と僕との関係は恋人というわけでもありません。大切な”人”とは、家族や友人の場合もあるでしょう。
本でも映画でも構いません、是非、この作品を味わってみてください。自分の生き方の参考となるはずです。その際、なぜタイトルがこんなショッキングなものなのかも考えてみてください。ヒントは誰が誰の膵臓を食べたいのかです。
2学期は学園祭からスタートです。まさに、”今”しか経験できないこの時を後悔しないよう大切にしてください。また、よき”友”との共同作業を大切にしてください。君たちの一生の宝物となるような学園祭になることを期待します。
そして、学園祭が終わると3年生はいよいよ勝負の時です。自分の進路実現に向けて、精一杯の努力を期待します。また、秋は読書に最適なシーズンです。高校時代に琴線に触れる一冊を是非とも見つけて欲しいものです。”今”この年代だからこそ共感できる珠玉の本があるはずです。場合によっては、自分の今後の人生に影響を及ぼすこともあるでしょう。そうした豊かな読書体験を期待します。
ところで、60歳にもなろうとするオジサン(いやオジイサンか)が青春映画を見に行くことは勇気のいることです。松江の映画館では無理。県外に出た際に密かに見るようにしています。ささやかな楽しみです。
 
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2017年8月21日
 
ローカルヒーロー
 
今年も未来の”ローカルヒーロー”達がオープンスクール(17日18日)に参加してくれました。たくさんの中学生諸君が来校してくれたこと感謝します。授業体験、部活動体験等で汗する姿に限りない可能性を感じるとともに、自分の意志で未来を切り拓こうとするたのもしささえも感じました。
いつも言っていることですが、本校の使命は地域を担う人材の育成です。多くの卒業生が地元に残り、地域のリーダーとして活躍することを強く願っています。仮に県外に移住したとしても、その地を愛しその地を第二のふるさとしてリーダーシップを発揮して欲しいものです。
リーダーと言うと、生徒会長、クラスの委員長、部活動の部長をイメージしがちです。リーダーは特定の役職にあるものを言うのではありません。自分が担当する仕事に責任を持ち、誠実に実行できる人がリーダーです。その際、周囲の人々(組織)は必ずその人に従っているはずです。周囲をリードできるのであれば、もうそれでリーダーとなっています。従って、すべての人がリーダーの資格があるということです。そして、学校を卒業後も地域のリーダーとして活躍するのであれば、それはもう”ローカルヒーロー”と呼ばれる存在となります。
さて、ヒーローで思い出すのは、戦隊モノ。我々世代は、『秘密戦隊ゴレンジャー』です。「○○レンジャー」の中に、各色が収まっていました。アカ(赤)、アオ(青)、キ(黄)、モモ(ピンク)、ミド(緑)です。色の”イメージ”で役割が大体決まっていたと思います。
大人気漫画『ONE PIECE』のヒーロー達に当てはめるとこうなります(あくまで個人的な感覚です)。主役のルフィはもちろん赤。NO2の立場で不屈の闘志を持つゾロは青。自由奔放で時に笑いをとるサンジは黄。ナミのピンクはコメント不要。妖艶で謎多きロビンは紫。ここまでは、異論はないと思います。バランス感覚に長け大きな夢を持つチョッパーは緑。お人よしではしゃぎ屋のウソップはオレンジ。死と隣あわせ(すでに死んでいるか?)のブルックは黒。不屈でたのもしいフランキーは茶。いかがでしょうか?
アメリカに目を向けると、アメリカンヒーローはグループではありません。スーパンマン、バットマン、スパイダーマン等。皆、唯一絶対的なヒーローです。ヒーローが複数存在するのは日本の特徴です。これからの時代は、必ずしも傑出したリーダーを求めません。皆が協働して組織を動かす時代です。日本型のグループヒーローが象徴的な存在となるはずです。ちなみに、今のアイドルも同様のようです。48人もいる時代となっています。
目の前の中学生諸君が将来どのような色を帯びるのか楽しみです。他の色に惑わされることなく、無理せず自分色で輝くことを期待します。『みんなちがってみんないい』(金子みすゞ より)。
 
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2017年8月16日
 
『杜の都』仙台
 
8月1日は、女子弓道部の応援で宮城県仙台市を訪れました。女子個人戦予選は4射3中以上的中したものが、次の準決勝に進めます。公開練習では絶好調。皆中(4射4中)を連発(8射8中)していたとのこと。「やってくれるのでは」という期待感をもって見守るも、残念ながら4射1中で予選敗退。「本番にその調子を取っておけよ」という不安がまさに”的中”する形となりました。緊張した場面で実力を発揮することは難しいことです。インターハイは、県大会を勝ち抜いた選ばれし選手(各県2名)が集う大会です。その選手達をもってしても、半分以上のものが予選を通過することができません。1射も的中させることができない選手もいます。本校の選手は、1射目をはずし2射目を的中。初っ端をはずすと余計に緊張感が高まります。そこを何とか持ちこたえることができたことは評価したいと思います。よく頑張りました。
さて、ご当地仙台は『杜の都』。熊本市、金沢市をはじめ自らを「森の都」と称する自治体は数多くあります。しかし、『杜の都』は仙台市のみ。「杜」と「森」との違いは如何に。仙台市の広報によれば、「杜」は江戸時代より仙台の人々が植え育ててきた防風林、防雪林、街路樹などの人工林を指し、それらは仙台の風土や歴史に立脚しているという説明です。もともと、仙台(仙台藩)は伊達正宗によって築かれた土地柄。その歴史は、戦国、江戸時代初期にさかのぼります。歴史の重みが、「杜」へのこだわりとなっていることでしょう。今一つ仙台の名物といえば牛タン。牛タン発祥の地として有名です。牛タンそのものはフランス料理タンシチューの素材として昔からあったものです。ただ、牛タンを塩焼きするという発想は戦後のことで、仙台出身の方が考案したそうです。由緒ゆかしき牛タンは美味。美味しくいただくことができました。
牛タンパワーで上位進出を狙ったのですが、弓道は体力というよりも精神力が肝(キモ)。精神力を養う食材があるといいのですが?もしかしたら、キモすなわちホルモンか?
 
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2017年8月8日
 
五月雨を集めてはやし最上川
 
7月30日は、女子バドミントン部の応援で山形県新庄市を訪れました。女子団体対抗戦1回戦は愛知県の強豪校岡崎城西高校と対戦。第2ダブルス、第2シングルスで勝利するも、勝利数2対3で善戦むなしく負けました。勝つチャンスはあっただけに、その口惜しさはかつて無いものであったことでしょう。3年生はこれで引退となります。1,2年生にはこの口惜しさを次の機会に是非とも晴らしてほしいものです。そして、3年生にはインターハイという舞台に立たせてくれたことに感謝です。
さて、私は新庄市に宿を取ることができず、秋田県酒田市まで足を伸ばすことになりました。新庄市から酒田市まではJR陸羽西線。俗に、「奥の細道最上川ライン」といわれる路線です。おもわず、松尾芭蕉の俳句がでてきます。
 五月雨を集めてはやし最上川
この句はあまりにも有名です。最上川の急流を詠んだ句で、一説には、芭蕉は船に乗り急流下りをして、それを”はやし”としたともいわれています。線路の両サイドは岩肌、それがまた苔むしているという風情は『奥の細道』を実感。また、車窓から最上川が見える時には、雄大な渓谷を望むことができました。ただ、急流というイメージとは程遠く、芭蕉のいう”はやし”とは最上川のどこの地域を指しているのか?季語は”五月雨”。ただ、これは旧暦であるため、新暦でいうと六月です。従って、梅雨時期に詠まれた句と思われます。”はやし”とは梅雨時分の雨によりいつもより最上川は増水していたのかもしれません。
7日現在、台風大接近。増水した川に注意。
 
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2017年8月4日
 
汗なき社会は堕落なり
 
7月28日29日は、女子バスケットボール部の応援で福島を訪れました。1回戦は順当に勝ち上がりましたが、惜しくも2回戦で敗退。勝つチャンスはいくらでもありました。実力的には少し本校が上回っていたかもしれません。ただ、ちょっとしたミスや不運でゲームの流れをつかむことができず、押し切られてしまいました。残念。選手諸君の口惜しさを思うと、どう言葉をかけていいのやら・・・。言葉を失うとは、まさにこのことです。
さて、ご当地福島はかつての会津藩。そして、東日本大震災による福島第一原子力発電所事故から6年。故郷を失い避難生活を今なお続けておられる人も多く、復興は道半ば、いや緒に就いたばかりの状況です。一度は訪れ、この地を肌で感じなければと思っていました。
会津藩は、幕末時、京都守護職として朝廷の護衛にあたり権勢を振るうところでした。それが、薩摩藩、長州藩、土佐藩との政争に敗れ、鳥羽伏見の戦いでは賊軍とされてしまいます。『錦の御旗』(天皇(朝廷)の軍(官軍)の旗)を掲げる薩摩長州連合軍に、朝敵となった会津藩、幕府軍は打ち負かされます。幕府のため、朝廷のためにと身を粉にしていたにもかかわらずです。潮目が変わらなければ、会津藩が明治維新の立役者となるストーリーもあったかもしれません。
平成の世になっても、原発事故という新たな試練を福島に突きつける格好となりました。ここでも、福島は首都圏への電力供給という役割を担っていました。世のため人のため首都圏の人々のため、この地に原発を受け入れていたのです。神は何故に福島に試練を求めるのか。一度ならず二度までも。
野口英世を筆頭に、福島出身の方々は一様に志が高く気骨があります。また、愚直に努力することを惜しみません。あまり知られていませんが、社会教育の分野で尽力した蓮沼門三(はすぬま もんぞう1882~1980)という人がいます。その人の言葉に、「汗なき社会は堕落なり」があります。私の好きな言葉の一つです。
今回の女子バスケットボール部の敗退。「もっと汗をかきなさい」と神様から言われたと受け止めるしかありません。ウインターカップでの雪辱を期待します。
  
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2017年7月27日
 
老舗企業
 
終業式での話の続きです。
 ”売り家(うりいえ)と唐様(からよう)で書く三代目”
江戸時代の川柳です。初代が苦心して財産を残しても、三代目にもなると没落してついには家を売りに出すことを言っています。生まれながらにして金持ち。甘やかされて育てられ、苦労などつゆ知らず。おまけに、遊芸にふけって商いの道をないがしろにした顛末(てんまつ)を皮肉っています。遊芸で培った文化的な素養(唐様という中国風のオシャレな書体)が余計に哀れさを感じさせます。
しかし、日本には創業が江戸時代以前という老舗企業がたくさんあることも事実です。韓国銀行の報告(2008年世界41カ国を対象に調査)によると、創業200年以上の会社は5,586社あるそうです。その中で、断トツの一位が日本。なんと、3,146社が日本企業でした。ちなみに、第二位がドイツ873社、第三位がオランダ222社です。創業年の古い順では、第一位578年金剛組(寺社建築 大阪)、第二位587年池坊(華道 京都)、第三位705年西山温泉慶雲館(旅館 山梨)で上位独占という状況です。また、東京商工リサーチがまとめた全国「老舗企業」調査によると、2017年に創業100年以上となる国内企業は33,069社に達するようです。これは前回調査(2012年)に比べ5,628社増えており、日本企業の逞(たくまし)しさが伺われます。実は、今年創業100周年を迎え、老舗企業の仲間入りをした企業が松江市内にあります。和幸グループです。本校卒業生会「振商会」とはとても縁のある企業でもあります(おめでとうございます)。
ところで、なぜ日本にはこれほど老舗企業が多いのでしょうか。一言で言えば、不易(変わらないもの)と流行(変わるもの変えるもの)のバランスを保ってきた企業が多いということです。
不易については、「暖簾」という日本特有の言葉に代表されます。日本人は勤勉に「暖簾に磨き」をかけてきました。そこには、”家”という日本特有の文化が通底しています。暖簾の何たるかは家訓(現代的には社訓、社是)から読み解くことができます。老舗企業は企業倫理の集大成として独自の家訓を作り上げています。その家訓に共通して見られるのが「顧客本位」という姿勢です。企業人は、「客」と呼び捨てにすることはありません。必ず「お客様」という表現をします。場合によっては、「お客様は神様」とまで言う場合もあります。今風に言えば、「顧客ファースト」となるでしょう。この姿勢を守り続けた企業が老舗と言われる企業になっています。「暖簾」の英語訳はcredit(信用)となるでしょう。ただ、”信用”ではあるのですが、何となくもう一味付け加えたくなります。日本特有の精神風土に基づく売り手買い手間の”信頼関係”が含まれているように思われます。
一方、”流行”とは時代の変化にうまく対応するということです。企業は流行(はやり)り廃(すた)りに敏感に対応し、時代が求める財やサービスを提供しなければなりません。技術革新は日進月歩、政治的な影響をも考慮しなければなりません。時代のその時々で、事業のモデルチェンジ、さらには事業そのものの見直しが求められます。日本の老舗企業は時代を見極め、生き残りのための最適な対応をしてきたということです。
 
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2017年7月20日
 
一学期終業式 ”茹でガエル”
 
一学期もこの終業式をもって終了します。だからと言って、時が止まるわけではありません。我々は時の流れをなんとなく受け止めてしまい、”変化”に対して鈍感なところがあります。あえて、時の流れに節目をつけて(竹の節の如く)、時の流れを実感することが大切です。終業式もそこを狙っているものです。今日は、「”変化”に対して敏感であれ」という話をします。
“茹でガエル”という言葉を聞いたことがありますか。
「熱湯を満たした釜の中にカエルを入れるとすぐに飛び出すが、常温の水の中に入れて徐々に温めると水温の上昇に気が付かず死んでしまう」という話です。
実際には、変温動物のカエルといえども水温の上昇に耐えきれず激しく逃げまどうようですが、この喩えは人が社会の変化に鈍感であることへの警句として使われています。その”鈍感さ”は人の環境適応能力の成せる業でもありますが、”鈍感さ”の度が過ぎるのは如何なものでしょうか。
人は、少しずつ変化していくものには感覚が麻痺します。身近な例としては、クイズ番組、バラエティ番組等で出てくる画像の変化です。コンピュータ・グラフィックスのモーフィング技術を利用して、ある物体から別の物体へ徐々に変形していくので、なかなか変化に気づくことができません。この程度のことであれば笑って済ますことができますが、ビジネスの世界となるとそういう訳にはいきません。
この言葉は『茹でガエル理論』として、経営学の専門用語ともなっています。業績が悪化し、経営戦略の抜本的な見直しが迫られているにもかかわらず、「うちはこのやり方で伸びてきたのだから」と過去の栄光にすがり続ける経営トップ。そして、そのトップの失政に気づいているにもかかわらず、トップの叱責を怖れ保身に走り指摘しない役員たち。こうした光景はテレビのワンシーンというわけではなく、実際のビジネスの現場でも起こっていることです。もともと、人は誰でも「正常化の偏見」を持っており、異常な事態に直面していたとしても、「大したことにはならない」「自分は大丈夫だ」と思い込み、危険や脅威を軽んじる傾向があります。それ故、小さな変化に気が付かない。また、気が付いていたとしても変化を認めようとしない。場合によっては、変化の指摘を保身のため差し控え、結果として他に迎合する行為をとってしまうということです。
中国の故事に、
「人の後ろの方で芝居を見ている人があまりよく見えないので、前の人が手をたたけば自分もたたき、前の人が笑えば自分も笑う。ただ、みんなそうするから自分もする」(荘子)があります。
2千年も前から指摘されてきたことのようです。
変化に気づく目と変化を指摘する勇気を持たなければなりません。くれぐれも、”茹でガエル”になるなかれ。
 
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2017年7月18日
 
幕末の志士たち
 
7月14日(金)には、中国・四国地区高等学校PTA連合会大会山口大会に参加させてもらいました。毎年のように出かけている本大会。昨年度は”黄門様御一行”を気取って水戸光圀公ゆかり地(光圀公の兄、松平頼重が養子として讃岐高松藩に迎えられている)である香川県高松市を周遊する旅でした。今年度は山口県下関市での開催。下関市と言えば、源平合戦の「壇ノ浦の戦い」、宮本武蔵と佐々木小次郎が決闘したという「巌流島の戦い」が有名です。さらには、幕末の動乱期、”幕末の志士たち”が活躍した舞台でもあります。恒例のPTA会長さん、副会長さんとの珍道中。今年は誰が誰に扮して写真に収まるかを議論。外国船(1864年下関戦争、イギリス、フランス、オランダ、アメリカの連合艦隊との戦争)に大砲をぶっ放した”勇猛果敢”、時に向う見ずな高杉晋作はPTA会長でしょう。私は年長者ということで、高杉の師匠に当たる吉田松陰というところでしょうか?そして、副会長は長州藩ではないですが、”調整能力優れた”(薩長同盟の立役者として)坂本竜馬でしょう。どうしても、ここは”坂本”姓にこだわりたいところです。
関門海峡を眺め、砲台に触れると彼らの声が聞こえてきました(聞こえるような錯覚を覚えました)。
【高杉晋作】               【坂本竜馬】
高杉晋作 坂本竜馬
高杉は言います。「おもしろき こともなき世を おもしろく」。
どんな時でも自分の考え方次第だといっています。今の世にも当てはまります。世の中が面白くないと嘆くより、自らが面白く生きていく姿勢を貫きたいものです。
竜馬は言います。「日本の夜明けは近いぜよ! 今一度日本を洗濯致し候」。
大志をもって突き進む竜馬のような生き方をしたいものです。「夢なき者に成功なし」。まずは、大きな夢を持つことです。
松蔭は言います。「至誠にして動かざるものは未だ之れ有らざるなり」
誠を尽くせば人は動いてくれるもの。本校の校訓「誠実質素勤勉」、まさにそのものです。
関門海峡を眺め、幕末の志士たちの志(こころざし)を感じる旅となりました。
研究大会での講演は文科省初等中等教育局財務課長伊藤学司氏で、「これからの高等教育とPTAの役割」というテーマでお話しいただきました。役人の講演ですので少々堅苦しい話ではありましたが、未来の社会および教育の在り方に関する考察は示唆に富んだものでした。個人的に共感したのは、PTA活動についてです。PTA活動は、子供たちを支援するものであるとともに、大人たちが学ぶ場であるという指摘です。家庭、職場に続く第三の社会としてPTA活動を楽しんでもらいたいものです。
また、今年も本題(研究大会)の報告が少なくて恐縮です。
 
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2017年7月10日
 
学校菜園その4 ~”人媒花”~
 
受粉方法により植物を分類すると、虫媒花、風媒花、鳥媒花、水媒花などがあるようです。虫、風、鳥を媒介するというのは理解できるのですが、水も媒介するというのは驚きです。そもそも、受粉とは雄花の花粉が雌花のめしべに到達することをいいます。種(しゅ)の保存あるいは果実を実らすために、受粉は絶対的な条件となっています。
スイカは虫媒花です。黄色く可愛らしい花が咲きます。一般的に虫媒花は、虫に目立つように花弁や香りを持ち、花粉はねばねばしています。もちろん、スイカも人の手を介することなく虫を媒介に自然受粉が行われます。ただ、気温が低い時や天気が悪い時には、虫の活動は期待できません。そこで、スイカの受粉を確実なものにするために、人間の手によって雄花を雌花に直接こすりつけたりします。しかも、朝10時までに行うのがポイントとなっています。これは、日が高くなると雄花が閉じてしまうからです。また、雄花の花粉が死滅するとの説もあります(若干、疑問?)。スイカは人工受粉、つまり人の手により受粉するとなれば、もはや虫媒花ではなく”人媒花”と言ってよいかもしれません。
スイカ花 スイカ実
人を花に例えて考えてみましょう。まさしく人間の世界は”人媒花”となります。人は人を媒介して成長し、夢の実現という大きな果実を実らせます。多くの人と出会い、そしてその”影響”を受けることは必至です。飛散する”影響”という名の”花粉”を取捨選択することも忘れてはなりません。
ちなみに、道尾秀介『光媒の花』(こちらは”光媒花”)の一節を紹介します。
  光ったり翳(かげ)ったりしながら動いているこの世界を、わたしもあの蝶のように、高い場所から見てみたい気がした。すべてが流れ、つながり合い、いつも新しいこの世界を。どんな景色が見られるだろう。泣いている人、笑っている人、唇を噛んでいる人、大きな声で叫んでいる人・・・誰かの手を強く握っていたり、何かを大切に抱えていたり、空を見上げていたり、地面を真っ直ぐに睨(にら)んでいたり。
人は”光”に導かれることもあります。その”光”も人が発するもの。ただ、簡単にはその存在に気が付かないのも事実です。
 
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2017年7月3日
 
藤井聡太4段 天才、秀才?
 
将棋の新人、藤井聡太4段の連勝がついにストップしました。プロとして昨年12月にデビュー以来、破竹の29連勝。新聞の号外やテレビの臨時ニュースにもなるほどの注目ぶり。この記録はしばらく(第2の藤井聡太4段の登場まで)破られることはないでしょう。今回、連勝はストップしましたが、彼の評価が下がることはありません。
将棋のプロになるためには若き天才どもが集まる奨励会を勝ち抜かなければなりません。とりわけ、”魔物が棲む”という最難関の3段リーグはどんな天才でも一度は足踏みをするといわれています。郷土の女流棋士である里見香奈女流5段もこのリーグで足踏みをしています。もっとも、過去に女性で3段リーグに在籍したのは彼女以外いません。在籍するだけでも大変なことなのです。ここで勝ち上がれば、晴れて将棋のプロ(4段以上)となれます。今現在、彼女は女流五段で女流のタイトルは五つほど持っています。しかし、それはすべて”女流”という称号がつく、女流プロ棋士という限られた世界でのことです。残念ながら、男性に交じって正真正銘のプロとなるには、どうしてもこの3段リーグを突破しなければなりません。その3段リーグを藤井聡太4段は、1回でクリアしています。さすが天才という感じですが、その彼をもってしても13勝5敗(第59回3段リーグH28.4.~H28.9)での昇段でした。つまり、1年前は5回負けていたということです。
なぜ、藤井聡太4段はこれほどの快挙を成し遂げることができたのでしょうか?もちろん、天才だからというマスコミの批評は当然のこととして、彼をよく知る者が努力の賜物と言っているところに興味をそそられます。まずは、子供の頃から毎日欠かさず行っている詰将棋。将棋は相手の玉を詰める(逃げ道がないようにすること)ことを競うゲームです。詰将棋は、あらかじめ決められた手数で玉を詰めることが約束された”ミニゲーム”です。単調で面倒くささもあり、将棋プロでも嫌う人もいます。それを今なおやり続けていることが彼の”直感力”(”直感”と”直観”は微妙に違うが、ここでは第一感を強調して”直感”)を支えているといわれています。ゲームで直感力は大切です。というのも、ほとんどの場合、まずは直感で差し手を思いつき、後でその差し手以降どうなるかという読みの裏付けをしているからです。詰将棋は、運動選手のトレーニングでいう”筋トレ”のようなものです。つまり、今すぐ役に立つことはないが必ずや血となり肉となるものです。勉強に例えれば、基礎基本ということです。そうしたことが継続できるというところからして、彼は天才であるとともに秀才でもあります。
今一つの努力は、最新の戦略戦術をAI将棋により研究しているところです。AI将棋はもはや人間を遥かに超える(神に近いとも)存在となっており、将棋のプロが対局中にAI将棋を利用したという疑惑(日本将棋連盟は不正の事実はないとして該当棋士に謝罪している)もあったくらいです。また、将棋界で一番強いといわれる佐藤天彦名人にも事実AI将棋は勝利を収めています。ディープラーニングという新たなコンピュータ技術がAI将棋を強くしたといわれています。しかも、その強さは進化し続けています。過去の対局をデータベース化し、同様の局面から最善の差し手を決定します。その最善の差し手を決める技術にディープラーニングが利用されています。この技術を説明するには、相当の知識を必要とします。ここでは、コンピュータ内にある数多くの”司令塔”の合議によるものと説明しときます。もちろん、決定した差し手の今後の展開も予想しています。そう考えると、膨大な作業がコンピュータ内で行われていることは想像に難くありません。データベースとなる過去の対局(教師データといわれるようです)は、過去20年間のプロの対局約5万局がベースになっています。プロ棋士の中にも、ある対局場面を見て、これは○年○月○日の○○戦、○棋士対○棋士の対局と言い当てる人もいるそうです。そこまで、記憶が正確でないにしても、プロ棋士の多くは過去の対局をデータベース化しています。ただ、AI将棋のデータベースは過去のデータばかりではありません。自分対自分、つまりコンピュータ対コンピュータの対局もデータベース化していきます(機械学習といわれるそうです)。その数、なんと700万局以上。つまり、自学自習となる自己対戦を四六時中行っているわけです。もう天文学的な数値が飛び交っているとしか言いようがありません。プログラムの進化は、AI将棋開発者の手の及ばないものとまでなっているようです。コンピュータの思考回路がブラックボックス化され、開発者でさえそれを知ることができない状況だそうです。
そのAI将棋にもっとも精通している棋士の一人が藤井聡太4段です。AI将棋の指し手にもっとも近いとも評されています。彼がデビュー以降半年間負け知らずというのは、AI将棋のように進化し続けているからでしょう。実際、戦えば戦うほど強くなっています。藤井聡太4段の頭にはAIが内蔵されているのではと疑うほどです。もしかしたら、藤井聡太4段はAI将棋に勝てるかもしれません。そして、近い将来、将棋のタイトルを取ることになるでしょう。
ちなみに、私の趣味は囲碁です。28歳で囲碁を覚えて約30年。対局数は、8000局を超えているはずです。しかし、私の場合、過去の対局はデータベースとはなっていません。しかも、同じミスを何回も繰り返す頭脳(コンピュータならCPU)しか持ち合わせていません。残念!
 
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2017年6月26日
 
毒あれこれ ~夾竹桃編~
 
夾竹桃(キョウチクトウ)のピンク色の花が鮮やかな季節となりました。開花が5月末、8月頃までは花を観賞することができます。まさに、夏を代表する花です。実はこの花、毒性があるということを知っていましたか?
夾竹桃
花はもちろん、葉、枝、根等、場合によっては土壌をも毒性があるそうです。中毒症状としては、腹痛、下痢、動悸、息切れ、運動失調、食欲不振などです。見て楽しむ程度であれば全く心配することはありません。ただ、樹木を触った手で飲食をしたりすると、体調を崩す人も中にはいます。日本では死亡例はありませんが、外国(フランス)では夾竹桃の枝を串焼きの串に利用して死亡者が出た例があるそうです。身近な花だけに注意が必要ですが、意外に周知されていないが実情です。
植物の毒といえば、トリカブトが有名です。古くから暗殺用の毒花として様々な事件で暗躍してきました。古代ローマ時代には、皇帝の世継ぎ争いがもとで暗殺が横行し、トリカブトが使用されるケースも多かったようです。そのため、トリカブトは「継母(ままはは)の毒」とも呼ばれました。日本でも奈良時代の律令政治下の条文において、「附子を用いて人を殺したものは絞首刑」と定められていたようです。腑子(ふし)とはトリカブトの根を乾燥させた漢方薬で、強心や利尿剤として広く使われていたものです。ただ、使いすぎると死に至るという取扱注意のものでもありました。近年では、トリカブトを使った保険金殺人事件等もあったと記憶しています。
一般的に、「毒にも薬にもなる」という表現があるように、毒と薬は表裏一体の関係。トリカブト同様、ケシの花は麻薬(ヘロイン)にもなるしモルヒネ(鎮痛剤)にもなります。身近なところ(これから注意!)ではマムシに噛まれることもあります。その際には、マムシ血清を注射しなければなりません。この血清ももともとはマムシの毒から生成されたものです。毒と薬の成分はもともと同じということです。
さて、毒もいろいろ種類があります。動物毒(フグ、ヘビ、ハチ、サソリ等々)、鉱物毒・人工毒(亜鉛、鉛、ヒ素等々)、そして夾竹桃、トリカブトなどの植物毒。しかし、本当に怖いのは”人間の毒”かもしれません。しかも”人間毒”は薬になることはありません。私も”毒を吐く”ことのないよう気を付けているところですが・・・
 
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2017年6月19日
 
雨やどり
 
梅雨入りとなりました(空梅雨で水不足が心配ですが・・・)。
梅雨になると、なぜかこの歌を思い出します。さだまさしの『雨やどり』。歌詞中には9月とありますが、なぜか私には梅雨時のワンシーンと脳裏に焼き付いています。
神を信じなかった”私”が神だのみ。だれでも一度ぐらい「神様お願い」と祈ったことがあると思います。人生においては、本人の努力だけでは如何ともしがたいこともあります。あせってもしょうがありません。そういう時には、”人生の雨やどり”をしてじっくり雨が通り過ぎるのを待つことも必要です。現代社会は、いつもせわしない。「人生の雨やどりも亦(また)説(よろこ)ばしからずや」。それぐらい心の余裕を持ちたいものです。
実際に雨宿りをしていると良いこともあります。時に、人生の伴侶を得るという僥倖(ぎょうこう)に恵まれるというのが、この歌のテーマとなっています。

それはまだ私が神様を信じなかった頃
9月のとある木曜日に雨が降りまして
こんな日に素敵な彼が現れないかと
思ったところへあなたが雨やどり

すいませんねと笑うあなたの笑顔
とても凛凛しくて
前歯から右に四本目に虫歯がありまして
しかたがないので買ったばかりの
スヌーピーのハンカチ
貸してあげたけど 傘の方が良かったかしら

でも爽やかさがとても素敵だったので
そこは苦しい時だけの神だのみ
もしも もしも 出来ることでしたれば
あの人にも一度逢わせて ちょうだいませませ

以上が歌詞の一番です。さだまさしの歌にはストーリーがあり、ホッコリした気持ちにさせてくれます。この後、父親との面会シーンがあり、そこでも少しの笑いとタップリの愛情が感じられる歌詞が続きます。是非、続きも味わってください。
 
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2017年6月12日
 
学校菜園その3 ~命の数え方~
 
トマトが色づき始めました。もう少ししたら美味しくいただくことができます。
ミニトマト
トマトが色づくには、一定の法則があるようです。毎日の平均温度を足していった値(積算温度)が、ある数値になった時が食べ頃。トマトに限らず果樹や果采類では、収穫までの積算温度が概ね決まっており、トマトなら開花から900度、ミニトマトでは800度が収穫期とされているようです。仮に平均気温が20度だとすると、トマトは900度÷20度=45日となり、開花から45日後が美味しく色づく時期となります。従って、暑い夏場では30日前後、寒い冬場は80日間にもなってしまいます。
さて、トマトには申し訳ないのですが、収穫後、人間の胃袋に収まり一生を終えることとなります。ちなみに、人間の一生を食べ物に関連付けて数えると、「生きているうちの3年半を費やして、38トンの食べ物を食べ(原文では噛み)ます。そのうちの15%がお米で、3%が卵。そして6頭の牛が、人(原文では彼女)の胃袋に収まります。でも・・・彼女の体の中から出てくるうんちは一生で10トンに過ぎません。おしっこは4万3800リットル。おならは1万1000リットル。トイレで過ごす時間は6ヶ月」(『いのちのかぞえかた』小山薫堂著)となるそうです。生きとし生けるもの、そのすべての生き様は数えることができます。きっちり数え終えて、命をまっとうしたいものです。
ところで、学校菜園のトマトを狙う黒ずくめの輩(やから)がいるようです。現場検証によるとミニトマト5個の盗難。これは、収穫期を迎える前の悪事であり、”命の数え方”のルールを犯すものです。その輩、はたしてその正体とは?目撃情報があり、カラスと判明しました。これはマズイ!至急、対策会議を開いて防御ネットを掛けることとなりました。カラスはとても賢い動物です。人間を怖がりもしません。人間とカラスとの知恵比べが続きます。結末はどうなることやら。この戦いも学校菜園の楽しみかもしれません。戦いの日々も数えることにします。
防御ネット
 
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2017年6月5日
 
高校総体終了 ~We are  Matsushou!~
 

高校スポーツ最大の祭典、高校総体が終了。松商健児は、仲間の応援、保護者や卒業生の方々の声援を背に受け獅子奮迅の大活躍をしてくれました。
学校対抗の部では、女子総合優勝、男子総合12位、男女総合3位という優秀な成績を収めてくれました。昨年と比較して、男女それぞれで得点、順位ともアップしており、この1年間での成長を強く感じます。全国総体に出場する部活動は、女子バスケットボール部、男子女子バドミントン部、女子弓道部。全国大会では、持てる力を十二分に発揮し是非とも一勝以上の成果を収めて欲しいものです。また、残念ながら結果を残すことが出来なかった部活動の生徒諸君には、今までの真摯な取り組みや努力に敬意を表します。この大会を最後に競技生活にピリオドを打つ人もいることでしょう。今までに培った気力、体力、精神力等々、それらは君たちの今後の人生を必ずや支えてくれるものです。新たな目標を設定し、それに向け全力で取り組むことを期待します。
忘れてならないのは、大会での活躍を支えてくれた仲間、指導者、卒業生、そして保護者への感謝です。「ありがとうございました」の一言でいいです。心に思っていることを形で示して欲しいと思います。さらに、敵として戦ってきた他校の生徒、いわゆるライバルに対する感謝も必要です。ライバルは自分を磨いてくれます。強い相手、優れた相手であればなおさら自分を高みに導いてくれます。試合が終わればノーサイド。今までライバルであったものが友となるはずです。

We are -!  We are -! We are -!
We are Matsushou! We are  Matsushou! We are  Matsushou!

多くの保護者の皆様、卒業生の方々には、応援にお出かけいただきましたこと、改めて感謝申し上げます。「松商の応援はスゴイ」という評判を各会場で聞きました。誇らしい限りです。
 
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2017年5月29日
 
学校菜園その2 ~根っこ~
 
さつまいもの栽培は、一般的に種や実でなく葉茎を地面に植え付けることからはじまります。ところが、その葉茎は順調に成長するかと思いきや、一旦、枯れたような状態になるケースが多いようです。写真Aが栽培をスタートしてから4日後の状態です。「もうダメかな?」と諦めていましたが、そこが素人の浅はかさ。写真Bは20日後の状態です。「見事に復活」という表現がピッタリです。葉茎の植え付け後、さつまいもは何をしていたのでしょうか?答えは、根を地面にしっかり張ろうとしていたのです。
<写真A>                <写真B>
写真A 写真B
これは、人間にもたとえられることです。スマップ(解散して半年、今や騒ぎは遠い昔)が歌う『世界でひとつだけの花』では、「もともと特別なオンリーワン」「その花を咲かせることだけに一生懸命になればいい」という歌詞があります。多くの人たちがこの”人生の応援歌”に勇気づけられました。全くその通りだと思います。
さて、ここで言う、人が「一生懸命になる」とはどういうことでしょうか?花であれば、養分や水分を吸収するために、しっかり根を張ろうとすることでした。そして、それは目には見えない地中での営みです。人であれば地道な努力を継続することです。夢や希望という花をさかせるためには、人目につかないところでコツコツと地道に努力することが大切です。高校時代は、とりわけ、基礎基本をしっかり身に付け、自分自身の”根っこ”となるものを作り上げる時期だと考えます。花ばかりにあこがれて、上だけを見るのではなく、足元をしっかり見て地道な努力を継続してほしいものです。
ちなみに、私には東京在住の友人がいます。高校時代の同級生です。年に一度は会い、楽しく会食する間柄です。別れ際、必ず彼が言う言葉があります。「お前は、高校時代と変わらないなぁ!」。彼の目に映る私の”根っこ”はどのように評価されているのやら・・・。
 
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2017年5月22日
 
「オアシス」運動
 
本校恒例のビジネスマナー指導。今年度も毎月一回、全校集会という形態をとり一斉指導を行っています。対人関係において、挨拶は基本中の基本です。相手への誠意を形で示すことにより、結果として相手に好意を抱いていただけます。「商業は人と人を結びつける」ことを生業(なりわい)としており、商業を勉強する本校の生徒諸君には、是非とも身に付けて欲しいものです。
フランスでは娘を嫁に出す時、娘の親は「娘の嫁入り道具は何もありませんが、この子は美しいフランス語を話せるように育てました」と言うそうです。お国事情は違ったとしても、挨拶はどこの国でも美しいものとされ、コミュニケーションのツールとなります。もともと、挨拶の「挨」「拶」ともに「せまる」という意味がありますが、「挨」には「ひらく」という意味もあるようです。従って、挨拶とは、「心をひらいて相手にせまっていく」ということになります。
美しい日本語を生活に生かす「オアシス」運動が昔からあります。
「おはようございます」
「ありがとうございます」
「しつれいします」
「すみません」
ギスギスした人間社会はギラギラした太陽の照りつける砂漠に例えることができるでしょう。挨拶は砂漠で見つけたオアシスのような一服の清涼剤となるはずです。本校においては、「美しい日本語が話せるように育てました」と言えるようビジネスマー指導を徹底していきたいと思っています。
くれぐれも、こんな「オアシス」はご免です。
「おれじゃない」
「あいつがやった」
「しらない」
「すんだこと」
 
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2017年5月15日
 
PTA総会
 

先般、13日(土)のPTA総会では、多数の保護者の皆様にご来校いただきましたこと、感謝申し上げます。

PTA総会は、学校の教育方針、また、教育活動の実際、さらには生徒の学校での様子を知っていただく絶好の機会であります。今年は全学年1校時2校時を公開授業とさせていただきました。一生懸命に授業に取り組む生徒の姿を見ていただけましたでしょうか。いや、「寝ている生徒もいたよ」というご指摘も聞こえてきそうですが、いずれにせよ忌憚のないご意見をお寄せください。

さて、子どもたちを育てるためには、家庭教育、学校教育がそれぞれの役割を果たしていかなければなりません。また、時には学校と保護者が一体となってPTA活動を展開していくことも必要となります。「片手で錐(きり)は揉(も)まれぬ」という言葉があります。もちろん、片手はご家庭であり、もう片方の手は学校です。両手で支えてこそ、子どもたちの健やかな成長が期待できるというものです。

似たような言葉で「孤掌(こしょう)は鳴らし難く」もあります。片方の手だけでは鳴らない。両手を合わせてこそ鳴るということです。片方の手ばかり振ると、その姿は「イヤイヤ」あるいは「バイバイ」を意味します。こうなってはいけません。両手の親密な関係が崩れることにもなります。今後とも保護者の皆様と連携を密にして取り組んでまいります。変わらぬご理解、ご協力を賜りますよう、よろしくお願い申し上げます。
 
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2017年5月8日
 
女三瓶(めさんべ)登山
 
恒例のゴールデンウィーク登山。家族に若干迷惑がられるも、「連休は登山」と勝手に決め込みいざ出発。
今年は三瓶山、その中でも比較的簡単に登ることができる女三瓶としました。登頂までの所要時間は1時間程度なので、登山初心者にはもってこいの山です。場合によっては、行程の3分の2を省略できるリフトもあり、「なんちゃって登山」も可能なのが魅力でもあります。また、個人的には三瓶外輪山中一番高い山である男三瓶(おさんべ)よりもその景色においては勝るものがあると思っています。二枚の写真が示すとおりです。さらに、この景色から古代人が編んだ神話を思いこすのも至高のひと時です。
<写真A>                 <写真B>
写真A 写真B
三瓶山は、数々の神話の舞台となっています。まずは「国引き神話」。写真Aは日本海を眼下に稲佐の浜から日御碕にかけての島根半島西端の海岸線です。「国引き神話」によれば、この海岸線は引いてきた土地が離れないようにするための綱となっています。そして、その綱は海岸線の延長に位置する三瓶山にくくりつけられました。三瓶山は杭の役目を果たしていたのです。島根半島全体が国引きにより獲得した土地です。西側に三瓶山や稲佐の浜があるように、東側には大山と弓ヶ浜があります。東西の綱により島根半島は離れないようにしたと神話は伝えています。飛行機がなかった時代、古代人は山から見える景色で想像力を働かせました。宍道湖や中海の北に位置する広大な土地(島根半島)が頭の中で描かれていたことでしょう。
もう一つの写真Bは男三瓶(右側)、子三瓶(こさんべ 左側)、赤雁山(あかかりやま 中央)です。赤雁山を頭にして、鳥が翼を広げているように見えませんか?三瓶には「佐比売(さひめ)神話」もあります。朝鮮半島からやってきた「さひめ」という乙女の神様が石見地方を「赤い雁」に乗って周遊し最後は三瓶に辿り着いたという話(今回 詳細は略)です。三瓶(さんべ)の語源として「三瓶(みかめ)伝説」(空から三つの瓶が降ってきたとするもの)はよく知られていますが、今一つ、「佐比売(さひめ)神話」もあります。「さひめ」が訛って「さんべ」になったとするものです。
古代人の発想には驚かされるばかりです。神話の源となった景色を目の当たりにして、悠久の時の流れを感じずにはいられません。
 
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2017年5月1日
 
耳にタコ
 
「勉強しろ」、「早く起きろ」、「ゲームするな」、「携帯かまうな」等々、物心ついてから何度となく聞いた言葉。「ああ、耳にタコができた」と親に反抗的な態度をとってはいませんか?
五感をつかさどる器官として目、鼻、口、耳、肌があります。耳だけは他の四者と比較して、その機能に関して大きな違いがあります。例えば、鼻は呼吸することの他に、香りや匂いをかぐ機能を具えています。口は飲んだり食べたりすることの他にしゃべるという機能をもっています。肌は暑さ寒さを感ずることの他に皮膚呼吸を行っています。また、目は見ることだけかと思えばさにあらず、「目は口ほどにものを言う」というように、喜怒哀楽を示します。みんな二役の機能を有しています。ところが、耳は聞くだけの一機能です。造化の神様は兼任をお許しにならなかったほど、聞いて学ぶことは大切なことであるわけです。
しかし、相手の話に耳を傾け、心を集中して内容を理解することは難しいことです。心に意欲がなければ聞いたことを実践しません。実践しない者の耳にはタコができてきます。耳だけで受け止めるからです。心と体を実践する者にとって、新しい話、興味をひく話は栄養の源となるはずです。
先日、耳に水が入り約1日(20時間ぐらい)左耳が全く聞こえない状態が続きました。耳の有り難さをあらためて知る機会となりました。それにしても、この年になって風呂での洗髪中に水が入ったなど、恥ずかしい限りです。
 
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2017年4月24日
 
『下剋上受験』
 
最近、テレビドラマで話題となった『下剋上受験』。偏差値41の娘が進学塾にも行かず親子二人三脚で難関私立中学に合格したという実話をドラマ化したものです。子役の女の子の健気さ、阿部サダヲふんする父親の一途さが時に涙、時に笑いをさそい、楽しく視聴する人も多かったと思います。ヒロインとなった実在の女の子は高校2年生となり、今も東京大学を目指して頑張っているそうです。『学年ビリのギャルが1年で偏差値を40上げて慶應大学に合格した話』(坪田信貴著)も以前話題となりましたが、こうした事例を聞くたびに人の可能性に限界がないことを実感します。
さて、このドラマでは娘の物覚えの悪さが成績の伸びないことの理由とされ、それがもとで親子喧嘩するシーンが何度となくありました。そうしたやり取りを繰り返す中で、「学習したものはすぐに忘れるもの」という前提にたって受験勉強をすることとなります。ドラマでは、人の記憶について「エビングハウスの忘却曲線」を用いて説明しています。この理論に基づくと、人は学習した内容を1時間後には50%、1日後には80%忘れるそうです。
親子が受験勉強で徹底したのが復習です。復習こそが忘却(記憶の低下)を防ぐ唯一の手段であるからです。『30+2で夢が実現する勉強法』(中塩秀樹著)という本があります。「30」は、家に帰ってから1教科5分、6教科で30分復習しなさいという意味です。「+2」は、朝起きた後、2分復習しなさいということです。睡眠をとることを忘れてはいけません。睡眠により記憶は脳に定着されます。「+2」は、記憶の定着を確認する作業です。ちなみに、この本では、登校後、授業のはじめ2分でもよいと指摘しています。一度学習しているので、復習にそんなに時間をかける必要はないのです。
さらに大事なことは、継続することです。
「1日休めば2日戻り 2日休めば4日戻り 3日休めば元の木阿弥」 
「継続は力なり」です。これは、勉強だけでなく、部活動でもいえることです。地道な努力が実を結びます。
 
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2017年4月11日
 
平成29年度入学式式辞(抜粋)
 
本校は、西暦1900年明治33年、全国で32番目、山陰では始めて創立された歴史と伝統のある商業高校です。卒業生は24,329名、文武両立の校風のもと学業および部活動において輝かしい実績を残すとともに、卒業後は校訓である「誠実、質素、勤勉」を心がけ、産業界はもとより地域の有意な人材として活躍しています。今年度、本校は「Change 変革を求めよ!」をスローガンに創立118年目のスタートを切ったところで、変革の立役者の一人として皆さんの活躍を期待するところです。
新入生の皆さんは、将来への夢と希望に胸を膨らませ、これからはじまる高校生活に対して決意も新たにしていることと思います。そうした皆さんに、未来を切り拓くためのヒントとして、本年度のスローガンともなっている「変革」をテーマとした話をしたいと思います。「変革」とは自分の心の変化であるということをまずは結論として申しておきます。そして、個々の心の変化が大きな事を成すものだと理解してください。
「未見の我」という言葉があります。これは幕末の思想家吉田松陰の言葉です。この言葉に触発された門下生が明治政府樹立という近代日本の礎を築くこととなります。原文は、「未だ、見たことのなかった自分を目指しなさい。心は熱く、一生に一度くらい、本気でやってみなさい。必ず達成します。運命を造りなさい」
「未見の我」は君たちにもきっと存在するはずです。「未見の我を目指す」とは、今流の言葉では「自分探し」となります。この松商での3年間で是非とも新たな自分に出会えることを期待します。そのためにはどうしたらよいか。吉田松陰はこうも言っています。
「志を立てて以って万事の源となる。交(まじわり)を択(えら)びて以って仁義の行(おこない)を輔(たす)く。書を読みて以って聖賢の訓(おしえ)をかんがふ」
難しい表現となっていますが、「立志」「択交」「読書」という三つのキーワードに要約されます。「立志」とは志を立てること。これがすべての源です。「夢なきものに理想なし 理想なきものに計画なし 計画なきものに実行なし 実行なきものに成功なし 故に 夢なきものに成功なし」といわれたりします。まずは、自分はどうなりたい、どうありたいという夢や理想を思い描いてください。そして、そのために目標を設定することが大切となります。目標は具体的なものがいいでしょう。「情報や簿記の上位検定に合格する」、「部活動でレギュラーになる」、「岩波文庫を読破する」等々。そして、2年次に進級するまでには「あの企業に就職するあるいはこの大学に進学する」という目標設定も必要となります。次に「択交」です。選択の「択」に「交わる」と書きます。人との交わりを択(選)ぶということです。よき師匠、よき友人との出会い(邂逅)は人生に大きく影響します。特に、君たちに望むのはよき友との出会いです。是非とも一生の友を作ってください。学校生活は友人関係に左右されることは言うまでもありません。お互いを高めあう関係でなければならないということを申し添えておきます。最後の「読書」は学生の本分です。よき本との出会いは人との出会い同様に一生の宝物となります。「Sense of Wonder」という言葉があります。不思議な感動、不思議な心理的感覚と日本語では訳すことができるでしょう。松陰の言う「読書」は単に本を読むということだけでなく、毎日の学習活動をも含んでいます。新しい知識、技術の習得が、君たちの「Sense of Wonder」になることを期待するところです。
「未見の我」は自分自身の中に見つけようとしても見つかりません。人との出会い、書物や学問との出会いにより見つかるものです。積極的に自分以外の「人、こと、もの」に関わることが大切です。その関わりの中で自らを変革していくことで、「未見の我」と出会えるものと考えます。何事もチャレンジ精神で挑戦する姿勢を貫いてください。
 
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2017年4月10日
 
平成29年度1学期始業式(抜粋)
 
平成29年度のスタートです。年度当初にあたり、君たちそれぞれが気持ちを新たに今年にかける思い、「決意表明」をしてもらいたいものです。
学校としてのスローガンは、「Change! 変革を求めよ!」です。えぇ、これって去年といっしょ。そうです同じ言葉です。ただ、副題として「未見の我を目指す」をつけたいと思います。変革とは自分自身の心の変容から始まるものであり、その行き着く先に新しい自分が存在するものと思うからです。
「未見の我」については、生徒会誌「瑞木ヶ丘」の巻頭言でも触れました。幕末の思想家、吉田松陰の言葉です。
 「未だ、見たことのなかった自分を目指しなさい。
  心は熱く、一生に一度くらい、本気でやってみなさい。
  必ず達成します。運命を造りなさい」
「未だ見たことのなかった自分」が君達にもきっと存在するはずです。この言葉に触発された松陰の門下生は明治維新の立役者となりました。攘夷を掲げ、倒幕の志士として活躍した久坂玄瑞、高杉晋作、明治政府を樹立した伊藤博文、山縣有朋はよく知られる人物です。そして、松陰の教えは平成の時代にも脈々を受け継がれ、今なお色あせることはありません。「自分にはできない。自分はこんなものだ」とあきらめていませんか?自分自身でも気がついていないもう一人の自分が存在するはずです。まずは心の変容、意識改革からスタートです。
「未見の我」に出会うためにはどうしたらいいのでしょうか?自分を見つめなおせば見つかるでしょうか?それも必要でしょう。自分の得手不得手を正しく分析することも必要です。ただ、今存在する自分の中だけで探しても見つからないと思います。私は、人(人格)というのはパズルと同じようなもので様々なピースによって形成されていると考えています。今持っている自分のピースを並べ替えて「未見の我」に出会おうとしても何個か重要なピースが欠けているはずです。重要なピースは外にあります。読書や学習によって得ることもあるでしょう。また、人との出会い(邂逅)によって得ることもあります。そして、外から得たそのピースを埋め合わせることによって、「未見の我」に出会えると思っています。
「未見の我」は、今流の言葉に置き換えると「自分探し」です。よく「自分探しの旅」と称して外国旅行、極端な例では自転車や徒歩で大冒険をする人もいます。これは自分の中にない重要なピースを見つけるための有効な手段だと思います。しかし、こうした物理的な旅ばかりが「自分探し」ではありません。「心の旅」でいいのです。物理的な旅であったとしても、本質的には旅行により自分自身の心の変化を求める「心の旅」であるからです。人との出会い、よき本との出会い、あるいは学習による気づき等、外部因子(ピース)とのダイナミズムの中で自分の心が変化するものと思われます。
この一年間、様々な活動を通して「未見の我」に出会えることを期待します。
 
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2017年4月4日
 
学校菜園プロジェクト
 
ここには何が植えられているでしょう?
黒マルチ 畝

場所(松商の敷地内)はどこでしょう?自分の足を使って探してみてください。すぐ見つかるはずです。

昭和女子大学(東京)では「7人の小人探し」が伝統となっています。毎朝、小人の置物7体がキャンパス内に場所を変えて置かれます。一日で7体全部見つけるといい事があるという言い伝えがあり、学生は競って小人探しをするそうです。松商においても「○○探し」があってもいいかもしれません。

仮に、目的のない探索であったとしても、春の訪れを感じながら校舎内外を歩き回ると不思議なものに出会えるかもしれません。陽気に誘われて心が外向きになるこの時期を逃す手はありません。四季折々の花が咲く瑞木が丘。散策してみると今まで気が付かなかった新しい発見があることでしょう。今は桜の木を観察するといいでしょう。つぼみの膨らみ具合。開花、満開、散り始め、桜吹雪、そして葉桜へ変容する姿は人生にも例えられたりして感慨深いものがあります。

さて、冒頭の黒いビニールシート。一般的には黒マルチシート(俗にマルチ)と言われます。これは雑草対策として農家や家庭菜園でよく利用されるものです。さて、何が植えられているかの回答です。ここにはジャガイモが植えられています。今後、他の野菜(ピーマン、ミニトマト等)も植える予定です。植物の成長を見ていると心が和みます。収穫の楽しみもありますが、食物を育てるという活動そのものが魅力的です。ささやかな規模ではありますが、学校菜園プロジェクトが成功することを願うところです。

 
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2017年3月31日
 
春の訪れ
 
春の便りは桜ばかりではありません。見た目の美しさから「清楚な春の女神」ともいわれるハクモクレン(白木蓮)。松江市内では今が真っ盛りです。完全に花が開かないのが清楚でおしとやかさを感じさせます。一方で甘い香りを漂わせ、妖艶さも秘めているところが魅力的な花です。個人的には高校時代に読んだ芥川賞作家庄司薫の『白鳥の歌なんか聞こえない』を思い出します。主人公のヒロインに対する恋愛感情がハクモクレンをモチーフにして描かれています。思春期に是非読んでほしい作品の一つです。
1週間もすると、ハクモクレンそっくりのコブシが咲きます。こちらのほうは、花が完全に開花します。花の大きさも若干小ぶりですので、見分けがつくはずです。コブシの語源は言葉通り花の形が人の「拳」のように見えるところからきています。また、秋には真っ赤な実をつけ春の花同様に見るものを楽しませてくれます。年配の人には、千昌夫『北国の春』を思い出される人もいるはずです。
 白樺 青空 南風 ♪
 コブシ咲くあの丘
 北国のああ北国の春 ・・・ ♪
そして春の花の代名詞、桜が続きます。こうして、春の訪れを毎年感じられるのも豊かな自然が残っている証拠です。年により暖かさに違いがあったとしても、また、土壌の環境が若干変化したとしても、花は咲かないことはありません。包容力の大きさを感じずにはいられません。自然の前では人の存在など無力なものに思えます。
はくもくれん
   
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2017年3月24日
 
3学期終業式 「可能性に壁なし挑戦に限界なし」
 

君たちが毎日のように目にしている本校体育館の横断幕「挑戦に限界なし」についての話です。これは、先々代の山本篤治校長が口癖のようにおっしゃっておられた言葉です。正確には、前段部分があり「可能性に壁なし 挑戦に限界なし」。「壁」を造っているのは自分自身であり、挑戦しようとしない自分を諌め、自らを奮い立たせようとする言葉です。
陸上競技において『1マイル4分の壁』という史実があります。これは、人間がいかに思い込みや固定観念に縛られ、自らが壁を作っているかという教訓ともなっています。オリンピック種目にはありませんが、1マイル走(約1,609m)という競技があります。約100年前(1923年)、フィンランド人パーヴォ・ヌルミ選手が4分10秒3という驚異的な記録を打ち立てました。当時、「この記録は二度と破られないだろう」、「人間の能力の限界だ」と言われ、不可能なことの代名詞となっていました。実際、その後31年間、この記録は破られることはありませんでした。しかし、1954年当時オックスフォード大学の医学生であったロジャー・バニスター選手が3分59秒4という大記録を打ち立てることとなります。彼は、最新鋭の医学知識、スポーツ生理学を駆使して『4分の壁』に挑んだのです。「そんなことをやると体が壊れる」、「心臓が壊れる」、「筋肉が断裂する」という周囲の反対を押し切って見事にその壁を壊したのです。当時のトレーニング方法は1マイルを走ることを前提としていました。彼は4分を切ることを前提に400mを4回走るという発想に立ち、持続するスピードの距離を伸ばす方法でトレーニングをしました。まさに、逆転の発想でした。
実は、この話には続きがあり、むしろそこが肝となっています。この記録が出た後、わずか46日後にオーストラリアのジョン・ランディ選手が3分58秒0という記録を出したのです。さらには、1年のうちに37人が4分を切り、翌年には何と300人のランナーが4分の壁を破って走ったのです。たった一人の人間の証明が他の人にも「できる」という自信を与えたのです。君たちはこの話をどう受け止めますか?開拓者精神をもって先駆者となることは危険を伴います。しかし、しり込みをしていたら成功を勝ち取ることはできません。
NHK連続テレビ小説「あさが来た」で、五大友厚(ディーン・フジオカ)が主人公あさ(波瑠)に対して「あなたはファーストペンギンだ」というシーンがありました。ペンギンは生きていくためには、海中の魚を捕食する必要があります。しかし、海中にはシャチやトド等、ペンギンを餌にする動物もいます。危険を冒して海中に1番に飛び込むペンギンはファーストペンギンと言われています。ファーストペンギンは天敵の餌食となる可能性はありますが、魚群に対して1番乗りで飛び込みますので大量の魚を食べることができます。2番目以降の後続ペンギンは、天敵がいないことを確認して飛び込むわけですので安全は担保されます。しかし、ファーストペンギンの飛び込み音や衝撃により魚が四方八方に逃げている状態に飛び込むわけですので、必ずしも魚を食べられるわけではありません。さて、君たちはファーストペンギン、後続ペンギン、どちらを選びますか?
  
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2017年3月21日
 
エ・プルリブス・ウヌム
 
何これ?ラテン語で綴りは「E pluribus unum」です。
この言葉は、アメリカ合衆国の建国理念になっているもので、「多州から成る統一国家」を意味します。また、「多くのものが集まってできた一つのもの」と広義に解釈することもあります。オバマ前大統領が好んで用いた言葉で、アメリカで流通するほとんどの硬貨に刻印されています。
さて、平成28年度も終わろうとしています。1年間校長として勤務させていただき、つくづく感じるのは、学校もこの言葉通りであるということです。多くの生徒、その保護者、地域の方々、さらには所属の教職員により学校は成り立っています。
近江商人の言葉に「三方よし」があります。「売り手よし買い手よし世間よし」という意味です。商売を長続きさせるためには、それぞれの立場の者が利益享受する必要があります。学校も同様です。ただ、学校の場合は「四方よし」です。「生徒よし保護者よし地域よし教職員よし」。生徒は「入学してよかった」、保護者は「入学させてよかった」、地域は「在ってよかった」、教職員は「勤務してよかった」、そのように思える学校であることが理想です。
本校において、「エ・プルリブス・ウヌム」の日本語訳は「四方よし」と言ってもいいかもしれません。
 
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2017年3月13日
 
ウィルスあれこれ
 
3月5日は二十四節気の一つ「啓蟄」でした。「啓」は「 開く」、「蟄」は「虫などが土中に隠れ閉じこもる」。従って、「啓蟄」は「冬籠りの虫が這い出る 」(広辞苑)という意味になるようです。記録的な大雪、インフルエンザ大流行の冬も終わりです。
今冬、松商はインフルエンザに振り回されました。生徒の罹患者は154名。これは、本校生徒の4人に1人が罹患したことになります。また、教職員の罹患者は13人。教員がこれだけ罹ったのは、私の記憶にありません。生徒から教員へ。また、その逆の感染もあったと思います。
何を隠そう私も不覚にも罹患してしまいました。高校3年時以来、40年ぶりのことでした。「年寄りは免疫を持っているので罹るはずはない」と豪語していましたが、全くの認識不足。お恥ずかしい限りです。インフルエンザ・ウィルスは同じA型であったとしても変異するものが多く(亜型というそうです)、何度でも罹患する可能性があるようです。
さて、世の中には病気のインフルエンザ・ウィルスばかりではなく、コンピュータ・ウィルスまであり迷惑千万。さらには、人の心にもはびこる「バレなければいい」・ウィルスなるものもあるようです。産業界では、産地偽造、リコール逃れ、不正経理、ブラック企業等々、事欠きません。政治や行政においても然り。教育界においても、感染事例が国会で大問題となっている有り様です。病気のウィルスは4,5日経てば治ります。しかし、「バレなければいい」・ウィルスは根深いものがあります。本当は、こころざし一つで感染を防ぐことはできるはずですが・・・。できれば「元気モリモリ」・ウィルスが流行することを願います。免疫システムが作動せず、感染しても抗体ができないウィルス。そんなウィルスなら大歓迎です。
  
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2017年3月6日
 
ルフィのように生きる
 
3月1日には116期生195名が旅立っていきました。厳粛な中にも暖かみのある「松商」らしい卒業式でした。
呼名に対して大きな声で返事、欠席した仲間を思いクラス全員による返事、校歌絶叫(斉唱ではなく)、若干はにかみながらも威風堂々の行進、感動的なシーンがたくさんありました。最後のホームルームでは卒業生一人ひとりに卒業証書が手渡され、担任の優しい声掛けに涙する生徒も見受けられました。担任の挨拶に続き、生徒からは担任への感謝、さらには参観の保護者への感謝の言葉もあったりして、クラス全体が感涙にむせぶこととなりました。
そして、ホームルーム後は「松商」恒例の各部活動ごとの送別セレモニーです。花束や手紙を送ったり、胴上げがあったり、グランドにお別れの文字を書くなど、心温まるシーンが盛りだくさん。先輩、後輩、仲間を思う気持ちを形で示してくれました。
世の中では「低学力」とともに、「低友情」が指摘されることがあります。少なくとも本校において、「低友情」は心配する必要はないようです。
また「ワンピース」ネタと思われるかもしれませんが、主人公ルフィの仲間思いは尋常ではありません。チョッパーやロビンを仲間に誘うシーンはルフィの情感が溢れる名場面です(知らない方には申し訳ない)。ワンピースファンであれば誰でも納得するはずです。ルフィは「悪魔の実」を食べて「ゴムゴム人間」となりました。君達には、ルフィのように仲間を大切にし、時には柔軟に、時には反発するゴムのような生き方をしてもらいたいものです。 
 
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2017年3月1日
 
平成28年度卒業式式辞(抜粋)
 
卒業される皆さんに餞の言葉を二つほど送りたいと思います。
第一は、「人間尊重の心を忘れない」。
人を理解し人を愛することのできる人間になってもらいたいものです。人と人との調和はもちろん、人と自然との調和をも考え、万物一如の深い思想に立つことを願います。商業は人と人とを結びつけることを生業としています。そして、商業教育においては生産と消費との人的な隔たりを解消するものと学びました。どんなに情報化社会が進展しようとも、ビジネスの世界では、最後はコンピュータではなく必ず人に行き着きます。目先の利益に惑わされて、人道や信義に反することがあってはなりません。世の中には、個人の尊厳を強調するあまりに自らを絶対と信じ、組織や社会をも自分のためにあると思い上がった考えをするものも見受けられます。一つの考えに固執するところからは、もはや現代を解く鍵と力は生まれません。自らを高く持し固く信ずるとともに、他の立場を理解しその主張を聞き、その価値を認めるという心のゆとりを持ちたいものです。
第二は、「自ら学ぶという姿勢を一生持ち続ける」。
江戸時代の儒学者である佐藤一斎はその著書『言志四録』において、「少くして学べば、則ち壮にして為すことあり 壮にして学べば、則ち老いて衰えず 老いて学べば、則ち死して朽ちず」という言葉を残しています。現代風にいえば、生涯教育の大切さを言っています。また、弟子にあたる勝海舟は語録『氷川晴話』において、「俺の見たところでは、今の書生輩はただ一科の学問を修めて多少知恵つけば、それで満足してしまって、更に進んで世間の風霜(ふうそう)に打たれ人生の酸味をなめようというほどの勇気をもっているものは少ないようだ。こんな人間ではとても十年後の難局に当たって、さばきをつけるだけのことはできない」という言葉を残しています。一斎から薫陶を受けた海舟の言葉は、まさに学び続けることの大切さ知る金言です。勉学は決して学生時代だけで終わるのではなく、生涯を通じて行うものです。社会に出ても、自分の研鑽に努めなければなりません。変化の激しいこれからの時代を生き抜くには、むしろ学校を卒業してからどれだけ勉学に励むかにかかっています。机上の学問、研究で終わってはいけません。生きた社会の中で応用し深化させてこそ真の学問となります。それがすなわち実学です。
終わりに、松商で学んだことに自信を持ち、新しいステージで一層活躍されることを祈念します。
また、時には青春の日々を過ごした母校「松商」に想いを馳せ、心の拠り所にしてくれたら嬉しく思います。松商は、皆さんの活躍をどんな時でも温かく優しく見守っています。ここ瑞木ヶ丘をあとにする卒業生195名一人ひとりに幸多かれを祈念して式辞といたします。
平成二十九年三月一日
             島根県立松江商業高等学校長
                  浜崎之義
 
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2017年2月20日
 
ヒット曲の法則
 
先日、音楽の授業を参観させてもらいました。学習内容は作曲。電子ピアノを前にして音符というオタマジャクシを五線譜上に泳がせる姿はなかなか堂にいったものでした。左手で鍵盤を弾き、右手で採譜。我こそは一流作曲家というオーラを出している人もいました。感心したのは、誰もが鍵盤を弾く指が一本指でないことです。おそらく、小学校の時にピアニカ(ヤマハブランドの商品 正式には鍵盤ハーモニカ)を経験しているからでしょう。我々の小さい頃には、低学年はハーモニカ、高学年は縦笛が定番。鍵盤に触れる機会など、遊びで「ねこふんじゃった」を弾く程度でした。今でこそ「○○音楽教室」などと、ある程度ピアノを習うには門戸が開かれていますが、半世紀も前はほとんど個別のレッスンでした。
さて、作曲に関して特にJ-POPにおいてヒット曲の法則があるようです。俗に、カノン進行といわれるものです。300年も昔、バロック音楽の時代から存在するコード進行で、ヨハン・パッヘルベルという人が作ったものです。基本形ハ長調は、| C | G | Am | Em | F | C | F | G |というコード進行をとります。非常に心地よく響き、聞く者に安心感を与えるものです。それは、規則性が誰にでもわかり、予定調和で終わるからです。昔のフォークソングから始まり、超人気アイドルAKB48の楽曲の中にもカノン進行は多く見られます。お笑い芸人・ミュージシャン、最近は俳優としても異才を放っているマキタスポーツはその著書『すべてのJ-POPはパクリである?現代ポップス論考』(扶桑社)でヒット曲の法則を詳しく分析しています。カノン進行以外に、「翼」「扉」「桜」「奇跡」を歌詞に盛り込むことだと言っています。確かに、「翼をください」「明日への扉」「さくら(森山直太朗)」等、思い当たる曲があります。さらに、楽曲構成では、「サビから始まる」「早速転調」としています。
今回の授業は「わらべ歌」をテーマとしていました。さすがに、「わらべ歌」ではこの楽曲構成は使えませね?
 
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2017年2月14日
  
18才と58才の違い
 

8日(水)は「3年生を送る会」、いわゆる予餞会でした。

まずは、吹奏楽の演奏でスタート。曲目はこの時期ピッタリの卒業式メドレーでした。心温まる優しい響きに目がうるうるする人もいたことでしょう。とりわけ、『贈る言葉』では三年担任団が金八先生に扮しての大活躍。生徒からは大喝采を浴びました。続いて、恒例のビデオレター。涙あり笑いありの後輩から先輩あてのメッセージで盛り上がりました。卓球部男子の恋ダンスが一番ウケていたようです。そして、フィナーレは3年生有志のアカペラとバンド演奏。ステージ上で躍動する勇姿は眩いばかりで若きエネルギーがほとばしっていました。

バンドメンバーからの「先生方は二度と来ることのない青春の日々を思い出してください」という言葉に若干カチンとくるも、確かに若かりし頃を思い出す自分がいました。聞くところによるとバンドメンバーは松江三中出身とのこと。何を隠そう私も松江三中で、40才上の先輩に当たります。彼らは中学校の予餞会でレミオロメンの『3月9日』を演奏したと言っていましたが、私たちはビートルズの『ヘイジュート』。そういえば、みんなでミニコンサートを三中近くのバブテスト教会でやったこともありました。マイクを前にして歌うは、それが初めて。私のデビューでもありました。遠い昔のことです。

「青春とは人生のある時期ではなく、心の持ち方をいう」とアメリカの詩人サミュエル・ウルマンは『青春』という詩の冒頭で言っています。言わんとするところは分かりますが、加齢とともに気力も衰え不安な気持ちが芽生えるのも事実です。18才の彼らも不安でしょうが、58才となる私たちも不安です。以前、18才と81才の違いを紹介しました。今回は、その二番煎じです。

 
社会に出ていくことに不安を感じるのが18歳

社会から遠ざかることに不安を感じるのが58歳
  
 
卒業後、家族と離れることに不安を感じるのが18歳

退職後、家族と一緒にいることに不安を感じるのが58歳
 
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2017年2月6日
 
恵方巻き
 

本校教員N先生の紹介で、おいしい恵方巻きを食べました。さすが、こだわりの恵方巻きという謳い文句だけのことはありました。

何がこだわりか?まずは、「五つ星お米マイスター」資格を有する米穀店主が直接生産地農家と契約して仕入れた米であること。一般に、お米は寒暖の差が大きい地域で生産されたものがおいしいといわれています。特に、奥出雲の「仁多米」は有名で、県内どころか「東の魚沼(新潟県) 西の仁多米」といわれるほどに全国にも通用するブランドとなっています。先日、『ガイアの夜明け』(テレビ東京系列番組)でブランド米戦争およびコメの生産販売を巡る新たな挑戦を知りました。コメの評価は絶対的なものでなく年とともに大きく変動するようで、ブランド米競争は熾烈を極めているようです。一時、基準価格(60kg当たり)が20,000円であったものが半額の10,000になったものもあるそうです。一方で、新しい技術を駆使して生き残りをかけた取り組みも紹介されました。和歌山県に本社をおく米穀企業と安来市西谷地区農家とのコラボによる事業です。「ロウカット玄米」という玄米の栄養価を残しつつ白米の食べやすさ・美味しさを保つという精米法による事業戦略が放映されました。

恵方巻きに戻ります。二つ目のこだわりは、無添加食材でそろえた7種類の具材です。かんぴょう・キュウリ・シイタケ煮・伊達巻・アナゴ・桜でんぶ・おぼろ(だったような?)。どれもこれも私の好きなものばかりで、思わずかぶりつきたくなるものでした。そう、それでいいそうです。恵方に向かってかぶりつくのが、習わしとなっているようです。恵方とは、歳徳神(幸福の神様である美しい姫神)が在する方角をいいます。その方角は年により変わり、今年は北北西であったようです。その方角に向かい、事を行えば願いが叶うということで流行ったといわれています。正確には、流行らしたといったほうがよいでしょう。某コンビニチェーン店が仕掛け人ともいわれています。

一般に、節分といえば豆まきとしたもの。商魂たくましいビジネスの世界では事あるごとにビジネスチャンスを作り出します。バレンタインデーやホワイトデーも然りです。無駄使いは如何なものかと思いますが、消費は美徳ともいわれます。また、皆が幸せな気分になるのであればこれもまた良しというところでしょうか?

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2017年1月30日
 
冬将軍来る
 

朝起きたら一面の銀世界。一昨年流行した「びっくりぽん」という言葉が思わず口をついてでました。

先週は、今シーズン一番の大雪。その前の週には、大寒波襲来と全国的に大騒ぎするも肩すかしされたこともあり、若干、たかをくくっていたこともあるかもしれません。公共交通機関のダイヤは乱れ、スリップによる交通事故は頻発しました。また、米子道では300台の車が15時間以上にわたって立ち往生するという大混乱となりました。生徒諸君も登下校で悪戦苦闘。バスは待てど暮らせどやってくる気配なし。家族に送ってもらっても道路は大渋滞。先生方も普段の3倍以上の通勤時間となり、中には、片道6時間にもなった方も(お気の毒です)。そうした中、雪中行軍が如く、徒歩やら自転車で頑張って登校した生徒もいました(感心、感心)。

今回の“冬将軍”の襲来は、雪だけでなくインフルエンザも本校にもたらしました。学級閉鎖が相次ぎ、教員も罹患者続出。教室はおろか職員室までも閑散とした状態を目の当たりにすると、改めて健康であることの大切さを感じました。インフルエンザは罹ってしまってからでは症状を抑えるだけの対策しかなく、おとなしく薬を飲んで休養するしかありません。罹からように予防することが大切です。マスク、手洗い、うがいの励行が肝要です。うがいは、効果が薄いという説もありますが、やらないよりはましでしょう。鼻からぬるま湯(若干、塩分も入れる)を飲むうがい、いわゆる“鼻うがい”が効果あるという人もいます。ただ、これはかなり覚悟を必要としますので、誰にでも勧められません。

さて、冬将軍という言葉はシベリアから南下する寒気団のことをいいます。雪を降らす目安は上空5,000m付近に-30℃の寒気が南下してきた時。ちなみに、冬将軍の語源は、ナポレオンがロシアに攻め込んだときに、厳しい寒さのために撤退したことを、「general frost(極寒将軍)に負けた」と表現したことに因るようです。

今回の雪では困った話ばかりですが、一つほどうれしい話があります。近くのスーパーの駐車場で雪のため立ち往生している車をサッカー部員数名が助けたそうです。運転手の方から学校にお礼の電話がありました。これまた感心、感心。
 
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2017年1月23日
 
梅謙次郎
 

郷土の偉人シリーズ第2弾です。

昨秋、現行民法を抜本的に見直す改正案が衆議院法務委員会に提案され、明治時代に制定(1896年)された民法は120年ぶりに大改正されようとしています。今回大きく改正されるのは債権に関する部分で、専門家の間では債権法改正などといわれています。債権というのは、ある人が他の人に対して特定のことを要求できる権利をいいます。ビジネスの世界では売買契約に関わるものですので、商業教育への影響(特に商業科目「経済活動と法」)も少なからずあるはずです。

さて、その120年前に制定された民法に深く関わっていたのが松江市灘町出身(写真「生誕の碑」)で「民法の父」とも呼ばれた梅謙次郎です。神童とうたわれた謙次郎は、10歳の時には藩主の御前にてしばしば四書五経を講義しその天才ぶりを発揮しました。14歳の時に家族で上京。経済的に貧しい中、蛍雪の功を積んで現在の東京外国語大学フランス語科と東京大学法学部をともに首席で卒業します。1週間でフランス語の教科書300ページを暗記したとの逸話も残っています。卒業後は司法省に入省。フランスやドイツでの留学経験を経て、東京大学教授として民法や商法を講義するとともに、内閣法制局長官として民法や商法の法典整備に尽力しました。また、現在の法政大学の初代総長にもなっています。ウナギが大好物で、当時法政大学での重要な会議ではウナギが振る舞われ、その慣例は100年も続いたともいわれています。謙次郎がウナギをこよなく嗜好したのは、故郷宍道湖のウナギへの憧れであったのかもしれません。

謙次郎は若槻禮次郎や岸清一の先輩であるにもかかわらず、意外に馴染みがありません。日本を代表する第一次文化人切手シリーズ(1949年~1952年)では、福沢諭吉や野口英世や新島襄などと並んで著名文化人18人のうちの一人ともなっていながら、郷土の偉人という認識が薄いように思われます。120年ぶりに民法が改正されるということは、逆説的にいえば現行民法が20世紀という激動の時代にも耐えうる法律であったということです。平成2年にはプラバホール前に顕彰碑(写真参照)が建立され松江市名誉市民にも選ばれていますが、もっともっと顕彰されてよいと思います。
生誕の地 梅謙二郎
 
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2017年1月16日
  

若槻禮次郎
 
 ♪  松江雑賀で名の出た人は

  若槻先生 岸博士

  みんな負けずに

  励もじゃないか

  サイカ サイカ サイカ ヨイ ヨイ ヨイ ♪

 

松江歴史館企画展『国を動かした出雲人 ~若槻禮次郎と岸清一~』に行ってきました。雑賀音頭(3番の歌詞)にも登場する若槻禮次郎(1866年~1949年)と岸清一(1867年~1933年)。雑賀小学校出身の人であれば当たり前のように知る人物であったとしても、松江市民でありながら知らないという人もいるかもしれません。とりわけ、島根県初の総理大臣である若槻禮次郎に対する認知度は低いように思われます。

顕彰のされ方も両者に差があります。幻の東京五輪を招致し「日本近代スポーツの父」と称された岸清一は、島根県庁前に等身大の銅像(台座を合わせると6mぐらい)があります。一方、若槻禮次郎については島根県庁前中庭に胸像(台座を合わせても2m弱)があるのみ。その昔、床几山(松徳高校がある所)に禮次郎の銅像があったそうですが、戦争による金属供出により哀れにも大砲の弾となったそうです。禮次郎は一貫して平和主義を貫いた政治家であり、ロンドン軍縮会議(1930年)での功績は歴史の教科書にも登場するところです。

軍備拡張に反対して「砲車ひく骸骨」という言葉を残しています。

 「国民の負担を顧みないで軍備を拡張すれば、大砲はできるだろうが、その大砲をひくものは骸骨であることになる。骸骨が大砲をひくようになれば軍備は充実するどころか、かえって弱体化する」

戦争に反対する禮次郎の意に反して、軍国主義に支配され日本は太平洋戦争に向かうこととなります。我が銅像が大砲の弾となることに対して、禮次郎の忸怩たる思いはいかほどであったか想像に難くありません。

歴史の授業では、「20世紀は戦争の歴史」と学びます。しかし、一方で戦争を回避する努力が無かったわけではありません。郷土の偉人、若槻禮次郎の功績はもっともっと顕彰されてよいと思います。
<岸清一>           <若槻禮次郎>
岸清一 若槻禮次郎
 
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2017年1月10日
 
第3学期始業式 「啐啄同時」
 
皆さん、新年あけましておめでとうございます。2017年のスタートとなりました。まずは、この冬休み中、事件や事故もなく、こうして生徒諸君並びに先生方が元気に新年を迎えられることをうれしく思います。

今年は干支でいうと酉年です。鳥は鳥でもニワトリです。「とり」にちなんで、「とりこむ」とも言われ商売には縁起のいい干支です。また、ニワトリは時を知らせる動物です。こんな話を聞いたことあるでしょうか?美保関の美保神社では商売繁盛の神様である恵比寿が祭られています。えびす様の鶏嫌いは有名で、げんを担いで地元漁師はおろか、釣り人は鶏肉や卵を敬遠します。その謂れとなる話です。

えびす様は夜な夜な中海の対岸にある東出雲町揖屋の三嶋溝杭姫命(みしまみぞくいひめのみこと)のもとに通い、明け方になると美保神社にお帰りになっていました。ある満月の夜、あまりにも明るかったため一番鶏が時刻を間違えて、まだ夜も明けないうちに刻(とき)の声をあげてしまいました。急いで帰路についたところ、あわてていたせいか途中で船を漕ぐための櫂(かい)を海中に落としてしまい、仕方なく足で掻いている時に、その足をワニ(サメ)に噛まれ大ケガをなさいました。怒ったえびす様はそれ以来ニワトリを嫌い、人々に鶏肉、鶏卵を食べることを禁じたという話です。えびす様がいつも片足を曲げているのは、この時の傷のせいとも言われています。

さて、ニワトリの卵にまつわる話として「啐啄同時」という言葉を聞いたことがあるでしょうか?ニワトリの雛は卵から産まれ出ようとする時、殻の中から卵の殻をつついて鳴きます。これを「啐」と言います。そして、親鳥はこの時とばかりに外から殻をつついて雛が出るのを助けます。これを「啄」と言います。「啐」と「啄」が同時であってはじめて、殻が破れて雛が誕生することを「啐啄同時」と言っています。

これはニワトリに限ることでなく、人間の世界における親と子の関係、先生と生徒との関係にも当てはまることです。同時とは言いましたが、実際には「啐」が先です。子供の側、生徒の側からサインを出すべきです。自らが成長しようとするあるいは学習しようとそる姿勢を示すことにより親や先生は適切な援助ができるというものです。

聖書の言葉にも「求めよさらば与えられん」という言葉あります。もともと、神への祈りや信仰を示すものでありますが、「 物事を成就するためには、与えられるのを待つのではなく、みずから進んで求める姿勢が大切だ」という意味に転じています。頑張る人には必ず手を差し伸べる人があらわれるものです。

今年は「酉」年。飛べない鳥の代名詞ではありますが、君たちは可能性という大きな翼を持っていますので、大空を羽ばたく鳥となれるはずです。そのためには、自らが「求め続けること」です。この姿勢を貫いてください。まずは、今年の目標を立てましょう。どのように羽ばたくかという未来予想図をデザインしてください。

 
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2016年12月22日
 
2学期終業式 「下座行」
 
瑞木祭から始まり、フェスタで閉めた2学期も本日が最終日。そして、早いもので2016年も終わろうとしています。大きな事件や事故もなく、無事に終業式を迎えられたことを嬉しく思います。

それぞれが目標を立てて取り組み、努力した一年であったと思います。その結果はどうであったのでしょうか。簿記風にいえば、決算報告をする時期となっています。3年生は進路実現できましたか?ここが君たちにとって一番のゴールとなるはずです。まだ、ゴールテープを目前にして勝負はこれからという人もいるでしょう。頑張ってください。また、目標とする資格を取得することができましたか?部活動では持てる力を最大限に発揮して悔いのない試合ができましたか?それぞれが結果を真摯に受け止め、それを評価分析して新たな目標を設定してもらいたいと思います。私自身としては「松商だんだんフェスタ」の成功が一番の目標でしたので、今日はそれに関連した話をしたいと思います。

本校においては、「時を守り、場を清め、礼を正す」という言葉をキーワードとしてビジネスマナー指導を行っています。これは、端的にいうと「人と人とが交わる場」を大切にしなさいということです。語源は、哲学者・教育学者である森信三先生(しんぞう 1896年~1992年)の言葉です。

今回は「場を清める」をテーマとして、今一つ森先生の有名な言葉を紹介します。それは、「下座行」下座の行者であることの教えです。「人と人とが交わる場」を清める行動を実践することが、人の心をも清めるとの教えです。先生が励行を促したのが次の二つです。

・履物を揃えること。特に、他人の履物を揃えることが大切

・トイレを清掃すること

人は成功を収めると勘違いする傾向にあります。「自分が偉くなった」。「他人より自分が優れている」。「自分の考え方が絶対に正しい」等々。こうした高慢心は、その人の成長を妨げるものとして指摘しておかなければなりません。高慢心は己の可能性を摘むもので、何よりも他人から嫌悪されます。高慢心を捨て、謙虚さと感謝に気付くには下座行が必要と先生は言っておられます。「履物を揃えること」の大切さは、「脚下照顧」という言葉で紹介されることもあります。「自分の足元をよく見なさい。他に向かって理屈を言う前に、まず自分の行いを見つめなさい」という意味です。「トイレ清掃」については、自動車用品の販売チェーンやディズニーランドがよく話題となります。特に、君たちにとってはディズニーの「おもてなしの心」は参考となるはずです。ディズニーランドの接客は日本一と言われます。そして、その「おもてなしの心」を一番実感できるのがトイレです。ディズニーでは、「汚れたら清掃するのではなく、汚れる前から清掃する」がモットーとなっています。ディズニーのスタッフが輝いて見えるのも下座行の成せる業と言わざるを得ません。

こんな喩えでも森先生は下座行を紹介しています。

「舞台に立って眺めていると分からないものである」

「同じ平面の平土間に立つとよく見えるものである」

我々は普段、子供に対して膝を折り曲げ腰をかがめて話そうとします。これもある種の下座行です。それが、子供にはできても大人にはできないことがよくあります。上から目線では分からないものも、同じ目線いや相手より低い目線だと分かることもあります。また、相手の立場に立って話してこそ、好ましい人間関係も築けるというものです。

英語にも下座行の考え方があるようです。「Understand」。下に立ってこそ、理解できるものです。
 
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2016年12月19日
  
観察力と想像力
 

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サンテグジュペリ著『星の王子さま』の冒頭に出てくる一枚の絵(上の絵)です。主人公は像をまるごと飲み込んだウワバミ(大蛇)の絵として描きました。ところが、大人には帽子にしか見えません。そこで、腹の中の様子を描き、大人にもわかるように描いたのが下の絵でした。大人には理由や理屈が必要で、結構やっかいなものとして皮肉っています。

子供には見えるのに、大人には見えないものがあります。大人に見えない(気付けない)のは、予断や偏見、余分な知識が邪魔しているからです。素直な目で見れば、右端にあるウワバミの目も確認できるはずです。サンテグジュペリは、「本当に大切なものは目には見えない。心の目を通して見なければならない」と指摘しています。子供のころにはあったはずの観察力(俗に“虫の目”)と創造力。もう取り戻すことはできないでしょうか?

NIE指定校となった小学校での話です。先生が子供たちに新聞紙を見せて、新聞記事の感想を聞こうとしました。ある児童が「上下にギザギザがあります。また、下には穴が8つあけられています」と回答したようです。ギザギザは新聞紙を切断した後にできるもの。穴は切断のため束状になった新聞紙に針金を差し込む際にできるものようです。確認してみてください。大人であれば、間違いなく紙上の新聞記事のことだと思うはずです。新聞紙に興味関心を持つことはないと思います。

それでは、私から一つお題です。「これくふて茶のめ」と書き込まれています。江戸時代の禅僧、仙厓(せんがい)の画「一円相画賛」といわれるものです。円は仏教用語では曼荼羅(まんだら)。円の中に、仏や菩薩像をはめこんでその加護を祈ったりします。また、円は宇宙の本質や現象をあらわすもので、無常なるもの象徴とされています。従って、円の中にはいかなる想像(創造)物も許容されるはずです。仏は寛容(とりわけ大乗仏教)です。○の中を想像してみてください。
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2016年12月12日
 
宍道湖“八珍”
 

“七珍”の間違いでは?間違いではありません。“八珍”といわれることもあったようです。

今や全国的にも有名となった宍道湖七珍。「すもうあしこし」になぞらえて、紹介されたりします。「す」は「すずき」。「も」は「モロゲエビ」。「う」はうなぎ。「あ」は「あまさぎ」。「し」は「白魚」。「こ」は「コイ」。「し」は「しじみ」。冬が旬のものが多く、これからが楽しみな時期となります。とりわけ、「あまさぎ」(一般的には「わかさぎ」)と「白魚」については、この冬の時期にしか食すことができません。

「あまさぎ」で思い出すのは、子供の頃、贈答用、正月用として“かけ焼き”を作ったことです。細串で目刺しにして、遠火で白焼きにしたものを味りんと醤油に生姜をすり込んだ汁に浸して焼き上げるものです。香ばしく少し苦みのある味わいは美味。正直、子供に渋みが強すぎて、当時は大人の味かなと思うこともありました。一方、「白魚」は卵とじが定番料理。たまに生きたままいただく機会があり、父親が「踊り食い」をする姿にびっくりしたこともありました。どちらも、今ではほとんど漁獲量が減り、めっきり食卓に登場しなくなったのは残念です。宍道湖の環境悪化も原因の一つでしょうが、ブラックバスやブルーギル等の外来種が生息するようになり生態系が変化したことも要因となっています。

さて、“八珍”についてです。今では信じがたい話ですが、その昔、「か」の字がつく珍味も存在していたようです。「か」とは何でしょうか?実は「カモ」です。宍道湖の湖中に生息するものでなく、湖上をスイスイと泳ぐあの鴨です。これも私が子供の頃の話です。カモ猟師の知り合いから狩猟したばかりのカモをいただく機会がありました。肉の中に散弾銃の弾が入っていることもあり、父親から注意して食べるようにと言われたことが思い出されます。もちろん、今では宍道湖でのカモ猟は禁止されています。カモ猟の禁止とともに、カモは“八珍”ではなくなったと思われます。

そういえば、来年は酉年。殺生ばかりするのではなく、「酉」に対する畏怖の念がないとご利益もありません。ちなみに、「酉」はニワトリのこと。「鳥」ではありません。だからといって、「カモ」に対する慈しみは不要というわけでもありません。
  
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2016年12月5日
 
第5回松商だんだんフェスタ
 
『第5回松商だんだんフェスタ』(3日4日開催)では、2日間延べ8,427名の方々に御来場いただきありがとうございました。また、大盛況のうちに終えることができましたこと、ひとえに関係各位のご尽力のたまものと深く感謝申し上げます。

今年のテーマは『A Good Time For You ~進化するフェスタを私たちの真心とともに~』。皆さんに幸せな一時を提供できたでしょうか?笑顔と共に真心が伝わったでしょうか?お手紙でもメールでも構いませんので、率直な感想をお寄せください。

このフェスタでは、仕入業者との交渉、イベントの企画運営、会計処理等、すべての業務を生徒が主体となって取り組んでいます。生徒が机上で学習してきたことを現実の「ビジネス」の世界で具現化する体験的実践的な販売実習であり、松商の商業教育の集大成(「学習の場」)と位置付けています。ただ、お客様よりお金をいただくからには「学習の場」という甘えは許されません。誠心誠意お客様に接し、「来てよかった」と思われるような満足度の高いサービスを提供するよう心掛けました。

そして、今一つフェスタの目的があります。それは「ブランディング」。つまり「松商ブランド」を高めるということです。本校は「地域に愛され、地域に必要とされる学校」という教育目標を掲げています。そのためには、地域の方々からの信頼を得る必要があります。このフェスタという取り組みも信頼を得るための一つの取り組みです。学校開放を行って松商の教育を知っていただく。それが「松商ブランド」を高めるものと考えています。

今後も地元の商業高校として地域に貢献できる学校づくりに取り組んでまいります。引き続き、ご支援、ご指導をいただきますようお願い申し上げます。
  
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2016年11月28日
 
今年の漢字 ズバリ「倫」
 

「今年の漢字」の時期となりました。世相を反映する漢字一字を示すもので、1995年から財団法人日本漢字能力検定協会が主催しています。発表は12月12日「漢字の日」。京都清水寺の住職の揮毫にて公表されます。

2016年「今年の漢字」は、「倫」と予想します。

上半期は、芸能人や政治家の不倫騒動にマスコミは話題を事欠かない状態。「ゲス」なる言葉が流行り、醜悪な男女間のもつれに拍車をかけることとなりました。

下半期は、企業倫理が問われるものとして、自動車の燃費数値改ざん、リコール隠しが強く印象に残っています。特に、リコール隠しについては池井戸潤『空飛ぶタイヤ』にて指摘されていたにもかかわらず、繰り返されていました。とうとう会社を身売りしなければならない状況になったこと、甚だ残念に思います。「商業人は嘘をつかず誠実でなければならい」ことを改めて認識させられる事件でした。民間企業に限らず、官公庁・公務員の世界においても同様のことが起こりました。豊洲の盛り土問題、東京オリンピック競技会場問題では、東京都の無責任な対応が表面化しました。職業倫理の崩壊を感じずにいられません。

政治倫理も同様です。政務活動費の流用で、多くの議員、東京都の知事までが辞職することとなりました。言い訳ならまだしも、開き直りとも思える発言が度々登場し、政治家の「倫理観」の無さが浮き彫りになったと思います。

いや、「倫理“観”」はどの事例においてもあったかもしれません。「倫理“感”」が無いのです。以前、「鑑」ではなく「感」が大切だといいました。ここでも、「観」ではなく「感」が求められます。倫理について見識を持っている、あるいは倫理について見解(時に勝手な)を持ち語ることができるのが「倫理観」です。「倫理観」がある人が、必ずしも「倫理感」を持っているとは限りません。「倫理感」とは、倫理の意識を自分の心に内在化している状態をいいます。さらには行動をも規制できることをいいます。難しい言葉でいえば、「知行合一」ということです。

本当は明るい話題を反映した漢字が選ばれることを期待しています。例えば、リオ・オリンピックでの日本選手の活躍を象徴する「金」。

さて、「今年の漢字」の応募は、12月3日(土)までです。私はすでに「倫」で投函しました。最大で10,000円の図書券がもらえるチャンス。どうですか。

 
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2016年11月21日
 
松商イレブン地団駄踏む
 

高校サッカーの頂点を決める選手権大会。高校サッカー選手であれば、誰もが聖地「国立競技場」(今は改修のため別会場)でのプレーに夢を抱きます。松商男子イレブンも憧れの舞台を目指して奮闘してくれました。

戦前、ダークホース的な存在として優勝もあり得るとの下馬評。評判通りに順当に勝ち上がり、準決勝戦では石見智翠館高校との対戦でした。これに勝てば、島根の高校サッカーを牽引する立正大淞南高校との対戦。しかも、決勝戦はテレビ放映もあるというご褒美も付くということで、選手諸君それぞれに心躍るものがあったと思います。結果は、延長戦の末0対1で惜敗。

同様に、松商女子サッカーイレブンは、県大会では明誠高校に6対0で完勝するも、中国大会では広島山陽高校に対し奮闘むなしく0対6にて完敗。頬をつたったのは汗でも雨でもなく、涙だったのでは?男女とも口惜しくて口惜しくて、思わず地団駄を踏んだことでしょう。

「あの時、こうすればよかった」

そうした後悔の言葉とともに、スパイクで地面を踏む地響きが聞こえてきそうです。

ところで、この「地団駄を踏む」という言葉の由来は島根にあります。奥出雲町での「たたら」製鉄で利用される足踏み式の送風装置「鞴(ふいご)」を「地踏鞴(じだたら)」といいます。交替制(1時間踏んで2時間休憩)であったとしても「地踏鞴(じだたら)」を踏むのは重労働です(その様子は宮崎アニメ『もののけ姫』にも描かれています)。その姿が口惜しがって地面を激しく踏む姿に見えたのが語源となっています。

東京オリンピック・パラリンピックの競技会場問題で「レガシー」という言葉が話題となり、2016ユーキャン新語・流行語大賞にもこの言葉がノミネートされました。「レガシー」は先人の遺産。そして、後世に引き継いでいくものでしょう。ただ、「レガシー」は形あるものとは限りません。思想、文化、宗教、言語等、形のないものにも「レガシー」が存在します。普段、我々が当たり前のように使っている言葉そのものが「レガシー」でもあります。

島根で忘れてならない言葉といえば、「だんだん」があります。「松商だんだんフェスタ」にも使われる「だんだん」。暖かみのある優しい言葉です。また、なぜか懐かしさを感じさせる言葉でもあります。言葉の語源だけでなく言葉がもつイメージも、「レガシー」として残していきたいものです。

今一つ、“地団駄(ジダンダ)”で思い出すのがあの有名なギャグ。

「ジダンが地団駄踏んだ!?」

これは、2006年ワールドカップ(W杯)決勝戦で起きたフランス代表ジダン選手の頭突き退場事件に由来します。シダン選手がイタリア代表マテラッツィ選手の差別的発言に怒っての事件といわれていますが真実のほどはわかりません。このことに触れて、当時NHKサッカー解説者早野宏史氏がコメントしたものです。
(参考文献:「地団駄は島根で踏め 行って、見て、触れる≪語源の旅≫」わぐりたかし)

 
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2016年11月14日
 
湯で始まり湯で終わる
 

11月も中旬となり、「木枯らし1号」や「渡り鳥の飛来」など冬の便りを聞くシーズンとなりました。寒さが身にこたえるとなれば、暖かい風呂に癒しを求めたくもなります。「あぁ~、極楽、極楽」。極楽浄土へでも行くが如く、つい口を衝いて出てしまう言葉です。なぜ極楽なのか?その理由は、日本人の一生が「湯で始まり湯で終わる」からです。それだけ、湯と密着した慣習や生活習慣を我々は持っています。湯に浸かるとは体を清潔にするだけでなく、ストレス解消や心の浄化という意味をもあるようです。

子どもが誕生した時の初湯は、「産湯に浸かる」といいます。そして、人生の終焉、あの世への旅立ちの儀式として「湯灌(ゆかん)」なるものがあります。これは、安置しているご遺体の身体や髪を洗い清め、化粧を施し身支度を整えることです。少し前の映画ですが、本木雅弘主演『おくりびと』で広く知られることとなりました。また、多くのものが毎日風呂に入り、しかもシャワーではなく湯船に浸からないと風呂に入った気にならない。これだけ風呂に固執し清潔感や爽快感を大切になする国民は他にありません。

さて、競技会場問題ですったもんだしている東京オリンピック・パラリンピック。外国人観光客の増加をにらんで、施設案内や地図記号が大きく変更されることになりました。温泉マークも参照図のように変更されるようです。外国人にも分かりやすいようにという配慮でしょうが、個人的には納得できません。

温泉マークといえば、3本の湯気が立ちのぼるお馴染みのあのマーク。正式(正調)マークは、3本の波線の長さが微妙に違うということを知っていましたか?図のように真ん中が一番長く、次いで左、右の順になっています。これは、湯船に浸かる時間を意味しています。5分、8分、3分の3回に分けて入ると温泉の効能がより肌に染み込むというものです。真実のほどは定かではありません。ただ、マーク制作者の思いがさりげなく図案化されているところに趣を感じます。ちなみに、この入浴法を守らないとせっかくの効能も御破算(“583”)とか?

新マークは人が3人描かれており、集団風呂であることが分かりやすく表現されています。ただ、情報として伝わってくるものは、それ以上でもそれ以下でもなく面白みに欠けます。ストレートではなく婉曲な表現であるからこそ、今流行の言葉“レガシー”となるように思えるのは私だけでしょうか?
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2016年11月7日
 
「鑑」ではなく「感」
 
4日は文化部発表会でした。本校においては、文化的な素養を磨くための「芸術鑑賞会」という位置づけにもなっている行事です。文化部の生徒諸君が活躍してくれました。その頑張りに感謝です。

学校教育の目的は社会で生きていくために必要な力を身に付けることです。必要な力には様々なものがあります。幅広い教養も必要でしょう。専門的な知識や技術も必要となります。特に、専門高校においては職業生活を支えるものとしてこの専門性を重視しています。教養や知識技術を身に付けることは、「知性を高める」という言葉に集約されます。ただ、これだけでは人生を有意義なものとすることはできません。知性とともに、必要とされるものが感性です。「感性を磨く」。これも教育の目的であることを忘れてはなりません。五感すべてを使って、外界の刺激を知覚する感受性の鋭さ。これは人生を楽しくさせるものとなります。美しいものや未知なるものに対して、“理屈抜き”で感動する素直な心を持つことが大切です。知性があっても感性に欠けている人(俗に「センスのない人」)は大成しません。

感性や感動の「感」には、「自分の意思に関わらず、自然と認識されること」という意味があります。理屈やご託を並べるのではなく(頭ではなく)、心で刺激を受け止めることをいいます。「咸」には口を閉じるという意味があり、「心」が付くことによって、口を閉ざすほどの心理的に強い衝撃の意になります。そこには、教養や知識は必要としません。たた単に感じてほしいのです。

芸術鑑賞には「鑑」が使われます。「鑑識」や「鑑定」に代表されるように、「鑑」には別に存在する基準やものさし(例えば、「規則」「手本」「成分表」等)に照らして評価するという意味があります。「感」の場合は、基準やものさしは必要ありません。強いて挙げれば、自分の心がそれに相当します。判断基準を外に求めてはいけません。自分の心で評価判断してこそ、大きな感動が得られます。あえて、芸術“感”賞としたいくらいです。

学校教育の現場では芸術鑑賞に限らず、感動的な行事や場面がたくさんあります。その場その場で、自分の心で感じ感動体験を積み重ねていくことで感性は磨かれていくはずです。
 
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2016年10月31日
 
ふとんがふっとんだ!
 

10月19日には、台湾新北市醒吾高級中學の修学旅行団が来校しました(詳細は本校ホームページ10.19付ニュース)。また、4日から7日にかけては、本校の2年国際ビジネス科が台湾に修学旅行に出かけており、今月は国際交流真っ盛りといった感じです。

交流を深めるためには、語学力が絶対的な条件となります。さすがに中国語は無学。ならば、英語でなんとか意思の疎通を図ろうと試みましたが、“片言英語”では歯が立ちません。英語を自在に使いこなす人がうらやましい限りです。ただ、そうした方々にも大変な苦労があるようです。

映画の字幕翻訳の第一人者として知られる戸田奈津子さんは、ジョークやダジャレを翻訳するのが最も難しいと仰っておられます。戸田さんの名訳を紹介します。

『007慰めの報酬』(ジェームスボンドシリーズ)にて、事件の鍵を握る重要人物(Slate)が死んで、解決への糸口がなくなった時に発したボンドの一言。

「Slate was a dead end.」

「dead end」は、袋小路、つまり「行き詰まり」という意味です。このジョークは、「dead end」で行き詰ったということと、「dead」で死んだということとを掛けているのです(少し難しいか?)。これを「行き詰まり」と訳したのでは、ジョークになりません。そこで、戸田さんが苦悩の末、考え出した傑作訳。

「脈なしだ」

この表現であれば、「行き詰まり」と「死んだ」ということが伝わります。いかがでしょうか。

これは英語を日本語に翻訳する例ですが、その逆もあります。

「ふとんがふっとんだ」

古典的な日本語のダジャレ(オヤジギャグ)です。実は、『ドラゴンボール』において悟空がこのダジャレを使っています。『ドラゴンボール』は、20ケ国語以上に翻訳され全世界で読まれているマンガであることは誰もが知るところです。もちろん、英語にも翻訳されていますが、さてどんな英訳になったのでしょうか。

「The mattress flew !」

では面白くもなんともなくダジャレやギャグにはなりません。こう訳されています。

「I don’t even know what comedians read!!」

「Comic books?!!」

「お笑い芸人が何を読むかなんて知らねぇぞ!」

「マンガ本か?」

英語は、同音異義語が作りにくいので、意味を解釈して面白い喩えを作り出すしかありません。ただ、この喩えが面白いかどうかは微妙(ビミョ~)?
 
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2016年10月24日
 
18才と81才の違い
 

10月15日(土)には、振商会東京支部総会が盛大に開催されました。最高齢は41期92才から最年少は今年3月に卒業した115期18才まで、総勢35名が集うこととなりました。卒業生会に年の差が半世紀以上(最高74才差)にもなる者が出席する学校はそう多くありません。松商の伝統が成せる業でしょう。

「あの日あの時、あんなことがあった」

「今はもう無くなってしまったのですね」

「○○先生に叱られたものです」

「甲子園はどうなっている」(今回も話題が集中していました)

松商に対する熱い思いをたくさん聞かせてもらい、改めて現役の生徒および職員の責任の重さを実感したところです。

 

松商卒業生の縦の絆は強く、母校を大切に思う気持ちに年の差は感じられません。しかし、巷では若者と年長者との違いを面白おかしく形容しているようです。「18才と81才の違い」(『笑点』でお題になったのが始まりのようです)を聞いたことがあるでしょうか?例えば、次のようなものです。どちらかというと、81才を皮肉る表現がうけているのが気に障ります。少々、気分を害する方もおられるかと思いますがお許しください。

「道路を暴走するのが18才、逆走するのが81才」

「心がもろいのが18才、骨がもろいのが81才」

「偏差値が気になるのが18才、血糖値が気になるのが81才」

「自分探しの旅をしているのが18才、出掛けたまま分からなくなって、皆が探しているのが81才」

「まだ何も知らないのが18才、もう何も覚えていないのが81才」

「『嵐』というと松本潤を思い出すのが18才、鞍馬天狗の嵐寛寿郎を思い出すのが81才」

「ドキドキが止まらないのが18才で、動悸が止まらないのが81才」

 

年の差があったとしても、母校を愛する気持ちは変わらないのが「振商会」。「振商会」においては、18才と81才の違いは存在しません。「もう何も覚えていない」など、とんでもないこと。大先輩の矍鑠(かくしゃく)とした姿。また、記憶力も抜群で、若かりし頃の“武勇伝”もたくさん聞かせていただきました。それと、今回は115期生2名が会を盛り上げてくれたことも印象的でした。大先輩の方々の中でも臆することなく話をするとともに、先輩へのリスペクトを忘れない姿勢に感服しました。若者二人にもアッパレです。
 
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2016年10月17日
 
えぇ、ボブ・ディラン?
 

2016年のノーベル文学賞はボブ・ディランでした。「ミュージシャンが文学賞?」という素朴な疑問とともに、村上春樹が今年も受賞できなかったことが残念でたまりません。ただ、ハルキストの端くれである私として悔しい思いもありますが、若かりし頃ギター片手にシンガーソングライターを気取った我々世代にとっては「フォークの神様」と称されるディランの受賞は歓迎するところでもあります。既成の秩序や権力に反対し、自分らしく生きることを訴える(カウンター・カルチャー 対抗文化)歌詞に勇気づけられたものです。今回の授賞理由は「米国音楽の偉大な伝統の中に新たな詩的表現を創造した」となっています。戦争や人種差別に反対するメッセージ性の強い「プロテクトソング(抗議の歌)」が若者の支持を得、そのうねりは米国に限らず世界中の人たち、また社会に影響を与えたことが高く評価されたと思います(そうした観点からすると、平和賞のほうが相応しいと誰も思うところ)。

日本のミュージシャンも影響を受けた人はたくさんいます。吉田拓郎、井上陽水、桑田佳祐等々。とりわけ、「和製ディラン」といわれた吉田拓郎の曲にはその影響をもろに感じます。例えば、「春だったね」(拓郎)と「メンフィス ・ブルース・アゲイン」(ディラン)。曲調がとてもよく似ています。また、拓郎の歌い方もディランを強く意識しており、特に「春だったね」の歌詞中にある「くもりガラスの窓をたたいて 君の時計をとめてみたい」という箇所は、拓郎自身もディラン風に歌ってみたと言っています。さらに、「今日までそして明日から」(拓郎)と「風に吹かれて」(ディラン)も、曲の構成がそっくりであるとともに、「自分らしく生きろ」という歌詞のメッセージも共通点があります。

さて、今年も授賞を逃した村上春樹(ファンだけが気を揉んでいるだけで、ご本人は気にも留めていないかも?)。世界中にハルキストがいたとしても、スウェーデン・アカデミーが評価しなければ授賞には至りません。一般に、村上作品は「文章は平易だが、ストーリーが難解で作品のテーマが分かりづらい」(比喩やメタファーが多く、主題がぼかされているという指摘もあります)が定説となっています。もしかしたら、ここらあたりが授賞の遅れている(いずれ授賞されるはずです)原因かも?ただ、作品から発するメッセージ性は強いものがあると信じています。かつて、エルサレム賞(エルサレム国際ブックフェア2年に1回開催)を受賞した際のスピーチでは、「高くて固い壁があり、それにぶつかって壊れる卵があるとしたら、私は常に卵側に立つ」(2012.9.17)と言っておられます。この発言からして、カウンター・カルチャーであることに間違いありません。とすると、今年の流れを受け、そろそろ来年あたりか?
 
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2016年10月11日
 
国際ビジネス科2年国際交流体験学習(台湾修学旅行)
 

3泊4日の旅程で台湾に行ってきました。台風18号の影響で出発が危ぶまれましたが、生徒諸君の願いが通じたようで飛行機は予定通り飛び立つことができました。しかし、待ち構えるのは沖縄上空の台風の渦。飛行機は嵐の中を突っ切ると思いきや、台風のはるか上空を通過し、全く風の影響を受けることはありませんでした。科学技術の粋を集めたジェット機の威力は恐るべしというところでしょうか。

さて、海外旅行研修の一番の目的は異文化理解です。様々な異文化体験の中でも、今回、生徒が一番戸惑ったのは食文化。台湾料理特有の香辛料(特に「八角」)に苦戦した人が結構いました。日本の中華料理とは全く別物。台湾の中華料理には定番とされる香辛料が隠し味に(“隠し”でない?)に使われています。今回の旅行では、日本食を恋しく思った人もいるはず?

車は右側通行、バイクの多さは尋常でなく、どちらかというと車優先(横断歩道も注意が必要)。言語の違いに関して言及すれば、中国語においては、原則、外来語が存在しません。外国の言葉は、すべて漢字に置き換えます。野球は「棒球」。サッカーは「足球」。若干、日本語の翻訳とは違うようです(前回の「校長室の窓」参照)。「ダウンロード」は「下载(シアザイ)」。人名にいたっては、音が近い漢字を当てて表記したり(オバマは「奥巴马」)、名前の持っている意味を翻訳(Exileは「放浪兄弟」)するようです。ちなみに、日本名にひらがなを持つ人は、適当な漢字に置き換えなければなりません。

共通点もありました。それは、台湾人は日本人同様に親切なことです。訪問先の豫章高級工商職業學校では、大歓迎をしてもらいました。歓迎式典、交流会パフォーマンス、体験授業、歓送式典等、この日のために用意していただいたものすべて優しさに溢れるものでした。もちろん、笑顔も万国共通。言葉は通じなくても「うれしい」「楽しい」という笑顔は言語代わりとなりました。

今一つ、共通するもの。地下鉄では日本同様、乗客は皆、携帯をいじっていました。エスカレータは右側に立ち左側を空ける関西風でした(東京は逆)。

生徒は、日本との違いをたくさん体験するとともに、一方で同じものも感じ取ってくれたと思います。 
 
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2016年10月3日
 
野球とベースボール
 

前回の続きです。

近年、日本語における“外来語の氾濫”の勢いが止まりません。それは話し言葉だけでなく、書き言葉においても同様です。私自身も、無意識に結構使っています。前回の校長室の窓「KSK」においては、「プロポーズ」「ウィット」「ユーモア」「テレビ」「ブーム」等々。さらには、「する」という動詞をつけて、「プロポーズする」「リードする」とも使っています。よく考えてみたら、英語の動詞(実際には名詞として使用)に日本語の「する」という動詞を付けるのはおかしなことです。さらにおかしな例として、「PRする」「FAXする」等、稀に英字をそのまま使って動詞にすることもあります。日本語の柔軟性(前回は“進化”と表現しました)の為せる業かもしれません。

“外来語の氾濫”は、外国語を日本語に翻訳する際に適当な言葉が見当たらないのが大きな理由です。外国語に相当する物や概念が日本語にないというケースです。文明の加速度的な進化により日々新たな言葉が登場する時代になったことも拍車をかけています。コンピュータ用語が顕著な例です。「ダウンロード」「ファイル」「リンク」「データ」「ネット」「ブラウザ」等々。確かに、これらを日本語で表現することは至難の業でしょう。

今一つの理由は、日本語に置き換えるとかえって分かりづらく、微妙なニュアンスの違いが表現できないというケースです。一例として、一時、話題にもなりました「マニュフェスト」と「政権公約」。また、最近よく聞かれるようになった「リスペクト」も、良例と私は考えています。日本語では「尊敬・敬意」です。ただ、日本語で「リスペクト」と表現する場合には、「軽く敬意を抱く」(場合によっては「一目置く」ぐらいか?)として使っている感じがします。もしかしたら、「リスペクト」が外来語として日本語になってから、独自の意味合いを持ったのかもしれません。いずれにせよ、「尊敬」と表現するにはあまりにも尊大すぎる場合に、「リスペクト」と使っているようです。

アメリカ文学研究者、そして翻訳家でもある東京大学名誉教授柴田元幸氏も、「日本語にしてしまうと、微妙なニュアンスが伝わらないことが多い。正岡子規がベースボールを野球と翻訳した時代と比べ、現代は外国語の言葉を訳さずそのまま使う時代になってきた」と言っておられます。

翻訳語にも「流行り廃り」があるようです。かつて、外国のスポーツが日本に紹介された時、ほとんどのスポーツにおいて翻訳語が登場しました。サッカーは「蹴球」。バスケットボールは「籠球」。バレーボールは「排球」。テニスは「庭球」。昭和の時代には、まだ使われていたと思います。バドミントンは「羽球」。ラグビーは「闘球」。ホッケーは「杖球」。これらの翻訳語にいたっては、なるほどと思うところはありますが、聞いたことがないというのが実感です。いったんは翻訳されたものの、「使いづらい」ということで死語となっています。

そうした中で、「野球」は唯一生き残り、しっかりと“市民権”を得た言葉だと思います。今や「ベースボール」とは区別して使われるようになっています。元々は同じスポーツでありながら、今や競技そのものに微妙なニュアンスの違いが存在しています。それは、「野球」そのものが日本において独自の進化を遂げたことに起因しています。戦略、戦術を重視する「野球」、パワー重視の「ベースボール」というところでしょうか? 「野球」はさらに進化を遂げ、高校生が行う「野球」を「高校野球」としてリスペクトされることもあります。「高校野球」は何を重視?それは言わずもがな。
 
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2016年9月26日
 
KSK
 

卓球の福原愛選手へのプロポーズは、自宅の鍵を渡し「この家の主人になってください」でした。台湾で“卓球王子”と呼ばれる江宏傑選手は、見た目のかっこよさだけでなく、思いやり、ウイットやユーモアに富む感性もすばらしく、内面的な部分でもかっこよすぎます。

一方、島根県と縁深いDAIGOの「KSK」もなかなかのもの。得意のDAI語でのプロポーズは、曲にして相手に伝えたということもあって、若者の支持を得ることとなりました。DAI語は、テレビ番組でも使われることが多く愛好者増殖中です。

一般的にはKY式日本語(あいるいはKY語)でしょうか?20年ぐらい前に「KY」(空気読めない)という言葉が登場し、日常会話、さらにはネット上で頻繁に使われるようになりました。

言葉の乱れとして、一刀両断に切り捨てるという意見もあるでしょう。しかし、言葉は変化するものです。元々、時代の流れと共に日本語は進化してきました。書き言葉においては、大陸から漢字が輸入され、その後、奈良平安時代にカタカナや平仮名が開発され、現在の形となっています。この流れは、話し言葉に書き言葉を近づけようとするものです。つまり、日常的に使われる話し言葉の変化が日本語の進化をリードするということです。

KY語は今に始まったことではありません。例えば、「NHK」は日本放送協会です。また、株式会社は「K.K.」と略されることもあります。戦前、旧日本海軍では「MMK」(モテて、モテて困る)「FFK」(ふられて、ふられて、かえる)という言葉が使われていたそうです。

こうした言葉が登場するようになった背景には、ローマ字の使用です。とりわけ、近年は、パソコンのローマ字入力の影響が大きいようです。そして、カタカナ、平仮名に続く、ローマ字の開発は欧米化の影響を強く受けています。例えば、外国の言葉をそのまま日本語として使うということです。その傾向は近年顕著なところです。これについては、次回以降のテーマとします。

“進化”(正直なところ進化ではなくブームと思っていますので誤解しないでください)を遂げるKY語をいくつか挙げてみます。

(初級編)

BW・・・場をわきまえろ   NW・・・ノリ悪い  

TK・・・とんだ勘違い    FA・・・ファイナルアンサー 

HK・・・はなし かわるけど IT・・・アイス食べたい   

CZ・・・チャック全開    CB・・・超微妙~

 

(上級編)

MJK・・・まじか?     DI・・・だっていやだもん

MHZ・・・まさかの歩腹前進 GMM・・・偶然、町であった元彼

KY語は、相手に本気で言うには憚れる時に有効な言葉でしょう。さりげなく、相手を注意する際に使えます。ただ、これは、意味が分かる相手であることが前提条件です。意味が通じない相手に使うと、誤解を招くことになります。従って、限られた仲間内だけの共通語でしかありません。

言葉はコミュニケーションツールです。一部の人達だけで通用する用語では役に立ちません。ある程度、日常的に使われ“市民権”を得たものだけが、言葉として使われるようになるのが自然の流れです。文化庁の2015年度国語世論調査によると、「OK」は「おk」、「UP」は「うp」、「了解」は「り」とする新語が若者を中心に使われているそうです。パソコンの誤変換や単語の簡素化の極致です。さすがに、これはいかがなものか?

さて、いつか皆さんが「KSK」と言う日が来ることでしょう。ただ、その頃は、「KSK」ブームも下火だと思います。新語を開発しますか?

参考文献:北原保雄『KY式日本語―ローマ字略語がなぜ流行るのか』大修館書店
 
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2016年9月20日
 
見た目?
 

16日(金)から高校生対象の就職試験がスタートしました。3年生諸君にとっては、“勝負”の時となります。持てる力を精一杯発揮して、自らの手により合格を勝ち取ってもらいたいものです。一番の関門は面接試験。アドバイスを一つしておきます。

面接試験は第一印象で決まるといっても過言ではありません。極端な言い方をすれば、「最初の7秒」で決まるとも言われます。

アメリカの心理学者アルバート・メラビアン博士は人が相手から受け取る情報の割合について次のような実験結果を発表しています。メラビアンの法則とも言われるものです。

 顔の表情 55%

 声の質(高低)、大きさ、テンポ 38%

 話す言葉の内容 7%

いかに見た目(“イケメン”とか“美人”という意味ではありません)で決まるかを象徴するデータです。ただ、このデータは一般論であり、採用面接という条件下においては、面接官もしっかり話を聞こうとしますので、話す言葉の内容の比率は高まります。しかし、そうであったとしても、言語によるコミュニケーション以上に見た目つまり非言語コミュニケーションが大きなウエートを占めることに違いありません。

具体的には、あいさつ、姿勢、笑顔、目線、うなずき、声の強弱テンポ等々です。何度も模擬面接をしてチェックしてください。意外に気付かないのが自分の癖。頭をかいたり、「えーと」の連発、貧乏ゆすりや指折りなどはもっての外です。嘘もだめです。嘘は表情(目が泳いだり、発汗)にあらわれます。

五感の観点から言えば、人の評価は聴覚情報以上に視覚情報のウエートが大きいということです。清潔感のあるきちんとした服装、きびきびした態度や挨拶、爽やかな笑顔は必須条件です。好感度を高めるために、自分の姿を鏡で見て練習することも大切です。場合によっては、ビデオに録画して研究してみるのもよいでしょう。

最後に、面接試験は面接の時間帯だけではありません。会社の玄関を入ってから出るまでが試験だと思ってください。面接会場まで行くまでに社員の方々とお会いすることがあると思います。そこでの挨拶も忘れないこと。評価されているのは、面接の時間帯だけではありません。

健闘を祈ります。
 
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2016年9月13日
 
台風あれこれ
 
♪ デイゴの花がさき 風が吹き 嵐が来た

   デイゴが咲き乱れ 風を呼び 嵐が来た ♪

The boomの『島唄』の冒頭分です。前々回の繰り返しにもなりますが、沖縄ではデイゴの花がきれいに咲くと台風が多く発生すると言われています。沖縄の夏を象徴する色鮮やかなデイゴの花。“血”の色にも形容される濃厚な赤には、過去の悲惨な出来事への誘いを感じさせます。

さて、先々週東北地方に甚大な被害をもたらした台風10号。「観測史上初めて」という冠をたくさん付けることとなりました。まずは、その迷走ぶり。発生した場所に戻ってくるなどということは聞いたことがありません。まさに、「迷走台風」。2007年より改称され「複雑な動きをする台風」と表現されるようになっていますが、個人的には若干“擬人化”表現となる「迷走台風」のほうがしっくりします。というのも、東日本大震災の復興に励む東北の方々にとっては、自然災害といえどもある種の暴力性をそこに感じるであろうと想像してしまうからです。

次に、本土上陸が東北地方であったことです。通常、台風が東北を通過するときは、西日本に上陸した後、勢力が衰えた状態で通過します。今回は、勢力を保ったまま上陸することになったので、より大きな被害をもたらしたとも言われています。

さて、台風の名称については、毎年1月1日以後に発生した台風を第1号として通し番号を付けるのと同時に、北西太平洋または南シナ海で発生する台風防災に関する各国の政府間組織である「台風委員会」(日本 ラオス マカオ マレーシア ミクロネシア フィリピン 韓国 タイ 米国 ベトナム カンボジア 中国 北朝鮮 香港 の14カ国 が加盟)が付ける名称が存在します。これは、各国10個14カ国総数140個の呼称があらかじめ用意されています。日本は星座を固有の名称にしていますが、他国では人名、神の名であったり、動物、植物、自然現象等、千差万別です。ちなみに、台風10号は、香港が命名の『LIONROCK(ライオンロック)』でした。そして、10号に続いで発生したにもかかわらず先に消滅した台風11号は、日本が命名の『Kompasu(コンパス座)』でした。台風は、年間平均26個発生しますので、概ね5年で140個の名称を使い切ることになります。基本的にはこの呼称は繰り返して使うことになりますが、今回の台風10号のように大きな被害をもたらした台風などについては、以後同じ名前を使用しないよう変更することがあるようです。

ところで、『島唄』の本当の意味は、沖縄戦で犠牲となった方々への鎮魂歌です。歌詞中に、捕虜になることを恐れ自決した2人を表現した部分があります。

♪ ウージ(さとうきび)の森で あなたと出会い 

   ウージの下で 千代(永遠)にさよなら ♪

冒頭の「嵐が来た」という部分は、台風ではなく戦争に置き換えられます。

 
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2016年9月6日
 
気炎万丈
 

本年度の瑞木祭総合テーマは、『気炎万丈』。「他を圧するほど意気込みが盛んなこと」を意味します。瑞木祭期間中、生徒諸君は皆それぞれに大きな気炎をあげました。生徒576名のお互いの気炎が相乗効果を起こし、”百”が”千”となり”万”をも通り越して「気炎”億”丈」にもなったかもしれません。

この2日間は、感動させられっぱなしでした。文化祭においては、合唱コンクールでの力強い歌声、Permanent Fish のステージに併せて躍動する姿。また、体育祭においては、思いのたけを語ってくれた選手宣誓、抜きつ抜かれつのリレー、女の意地をかけたタイヤ引き等々、胸が熱くなるシーンがたくさんありました。とりわけ、選手宣誓は情感あふれるものでした。自分達が楽しむだけではなく、体育祭という舞台を用意してくれた人達への感謝、さらには、熊本地震で被災された方々への惻隠の情。こうした思いを抱き、それを言葉で表現できる松商生を誇りに思いました。本当に大切なものは人への思いであり、それは青組の自由曲『大切なもの』の歌詞に象徴されます。

さて、気炎といえば漫画のシーンでよく見かけます。過去には、『北斗の拳』のケンシロウ、『ドラゴンボール』の悟空が思い出されますが、今は何といっても『ワンピース』のルフィです。ワンピースファンの一人でもある私としては、ここは外せないところです。

気炎を発するためには、モチベーションが必要です。ルフィの場合は、仲間を思う気持ち、すなわち「友情」が最大のモチベーションです。普段は、宝探し(ひとつなぎの大秘宝 ワンピース)そっちのけで、優柔不断で行き当たりばったりのルフィですが、ここぞという時には力を発揮します。そのギャップが、この漫画の魅力です。

ところで、ワンピースの大秘宝とは何でしょうか?まだ、正体は明らかになっていません。意外に、人の心の中にあるものかもしれません。『パンドラの箱』の中に、希望があったように。

おまけです。

個人的には、チョッパーに共感を覚えます。このキャラクタだけは、人間ではなくトナカイです。悪魔の実「ヒトヒトの実」を食べて、ヒトのような振る舞いや人間語が話せるようになりました。時に、人間と動物の間を行き来して自分の存在意義を見失うこともあります。そこが、また無邪気でかわいらしく感じられます。人間に例えれば思春期真っ只中とでも言えます。ただ、医術に対する真摯な態度、ウソップの嘘にも騙されたふりをする包容力等々、人間以上に人間らしいところが魅力的です。

少し、話がワンピースに偏りすぎました。
 
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2016年8月29日
 
2学期始業式
 
猛暑厳しかった夏休みも終わり、2学期が始まろうとしています。まずは休み中、大きなけがや病気、事故もなく、皆がこうして元気に登校してくれたことを嬉しく思います。ただ、猛暑に限らず今後も天候が心配されるところで、特に台風が気がかりです。The boomの『島唄』の歌詞「デイゴの花がさき 風が吹き 嵐が来た」にあるように、沖縄ではデイゴの花がきれいに咲くと台風が多く発生すると言われるそうです。どうも、今年は当たり年だと聞きます。

それにしても、リオ・オリンピックでの日本選手の大活躍は、我々に感動や勇気を与えてくれました。眠れない夜を過ごすとともに、大いに刺激を受けた人も多いと思います。本校の生徒もオリンピック選手に負けず劣らず、頑張ってくれました。全国大会に出場した運動部の諸君は、持てる力を十二分に発揮し完全燃焼してくれました。また、文化部においては各種競技会、コンクールで最高のパフォーマンスを発揮してくれました。さらには、炎天下でのグランド、蒸し風呂状態での体育館や教室でのひたむきな練習の姿を見ていると、オリンピック選手と同様の声援を送りたくなりました。「継続は力なり」。君たちの努力が花開くこと確信するところです。そして、終業式でお願いした「プチ・チャレンジ」。どんな挑戦があったのでしょうか。そちらのほうも、是非、話を聞かせてもらいたいものです。

さて、2学期は大きな行事が目白押しです。早々に、瑞木祭。総合テーマは「気炎万丈」です。他を圧するほど意気込みが盛んなことを言います。君たちの意気込みを文化祭、体育祭で見せてください。私も、高校時代の思い出として今も強く記憶に残っています。それは、生徒が主体となって作り上げたものだからです。先生に強制されたものではく、仲間と一緒になって創造したものだから価値があります。心のひだにしっかりと記憶が残るよう、最大限のパフォーマンスを期待します。

学園祭が終わると、3年生は就職試験、進学試験に臨むこととなります。人生における“勝負”とも言えます。それは、多くの選択肢の中から自分が選択した挑戦であるからです。これは、「プチ・チャレンジ」ではなく、「“ブチ”・チャレンジ」です。過去において、唯一チャレンジと言えるものは、高校入試でありました。しかし、それはごく限られた範囲内での選択でした。しかし、今回は多くの選択肢がある中で、自分自身に選択が迫られます。悔いの残らぬよう、自分が選択した道の先にある“勝負”に立ち向かってください。

1、2年生にお願いしたいことは、学習面で実力をつけることです。特に、資格取得のための勉強にこの2学期は集中してください。1,2年生も3年生になったら必ず“勝負”をすることになります。資格は、“勝負”に勝つための武器になるはずです。

君たちの頑張りを期待します。
 
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2016年8月22日
 
怪談話
 

夏といえば、「怪談話」。子供の頃、親から聞かさる話に震え上がったものです。また、友達同士で創作話をして盛り上がることもありました。喜怒哀楽に次ぐ五番目の感情である恐怖は、人の想像力を掻き立てるものがあります。怖さの対象になっているものだけでなく、その背後にある、また、延長線上にあるものに強い恐怖を抱いたりします。暗がりだけで、「何か出てくるのでは?」という得体の知れないものに対する恐怖が一例です。その感情が強すぎると、時にそれを“霊感”といったりして、もてはやされることがあります。

 

「霊感タレント」として有名な稲川淳二氏。私たちの世代では、一世を風靡したお笑い番組の元祖『オレたちひょうきん族』や『スーパーJOCKEY』で活躍した記憶が今もしっかり残っており、お笑い芸人としてのイメージが強い方です。しかし、今や恐怖話のストーリーテラーの第一人者。彼が語る怖い話は背筋を凍らせるものがあります。もともと、人には「怖いもの見たさ」という好奇心があり、それを上手に刺激し、聴衆を飽きさせない語り口は円熟味を増しています。正に“稲川ワールド”。ただ、今年に限ってはマスコミに登場する機会が少ないようです。誰も彼もオリンピック応援で、深夜も大騒ぎしているからでしょうか?

 

ビジネスの観点からみると、恐怖にはビジネスチャンスが存在しています。映画や小説、遊園地・テーマパーク(ジェットコースターに代表される“恐怖系”遊具やアトラクション)、夏の定番「お化け屋敷」等、様々な形で恐怖が商品化されます。松江においては、何と言っても小泉八雲の怪談です。ちょっと面白いものをネットで見つけました。本を読むのが苦手な人は、アニメで怪談話を視聴してください。ネット上に、「秘密結社鷹の爪団 3分で分かる小泉八雲の怪談」があります。前々回紹介(8月5日付け)した『小豆とぎ橋』というとても恐ろしい話も視聴できます。
 
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2016年8月16日
 

夏休み子ども電話相談
 

先日、車を運転中にNHKラジオを聞いていると、あぁ懐かしい“夏休み子ども電話相談”。正確には『夏休み子ども科学電話相談』(1984~)です。同様の番組が以前TBSラジオ(1964~2015)でも放送されていました。こちらの方が本家本元。半世紀も続いた番組で、昨年3月、多くの視聴者に惜しまれつつ終了しました。歴史に残る“珍質問&名回答”が残っています。一つ紹介しますと、先月、七夕の日に旅立たれ夜空の星となられた永六輔(『見上げてごらん夜の星を』の作詞者)さんの回答がご自身の人生と照らし合わせ感慨深いものです。今を大切に生きることの教えです 

【質問】天国に行ったら、どうなるんですか?(小2・女子)

 【回答】学校やおうちでとっても楽しくすると、今生きているままで天国になっちゃうの。

今生きているこの世を天国にしましょう。(永六輔さん)

 

さて、車中で聞こえてきた相談は、以下です。

【質問】花の蜜が甘いのはわかりますが、どうしていろいろな味がするのですか?(小2・女子)

【回答】それは飛んでくるハチやチョウの好みに合わせているからです。(回答の先生)

 

ハチやチョウと花とは、共生関係にあります。ハチやチョウは花の蜜が大好物です。一方、花はハチやチョウに花粉を運んでもらっています。たくさん花粉を運んでもらえるように、彼ら好みの蜜を提供しているようです。三瓶山に生息する「ウスイロヒョウホンモドキ」は今や絶滅の危機(もしかしたら絶滅しているかもしれません)に瀕しています。三瓶山では東の原が最後の生息地でしたが、近年、個体の目撃が報告されていません。このチョウは、オミナエシの花の蜜が大好物ですが、東の原は牛の放牧により花が食い尽くされるという環境となっています。それが、絶滅(かもしれない)の要因ともいわれています。

ところで、オミナエシの花の匂いは、人間にとっては少しいやな匂いです。しかし、チョウにとっては大好物。「蓼喰う虫も好き好き」。この場合は、「オミナエシ吸うチョウも好き好き」でしょうか。
 
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2016年8月5日
 
全国商業教育研究大会

 全国商業教育研究大会(8月2日から4日)を「くにびきメッセ」で開催し、全国から集まった約300名の先生方と今後の商業教育の在り方について議論しました。大会テーマは「新たな可能性への挑戦 ―創造的・実践的商業教育―」。先進的な取り組みを行っている学校の事例発表は、示唆に富んだものであり変革の方向性を明示してくれるものでした。参加者それぞれが学校現場に持ち帰り、学校独自にブラッシュアップして変革の具現化を図って欲しいものです。

さて、私の一番の仕事は大会を成功裏に終えるための事前準備およびスムーズな大会運営を総括することでした。ただ、それに関しては、本校職員、さらには県内商業科教員で組織する優秀なスタッフがいますのでほとんど出番なし。一番、注力を注いだのは、他県の先生方の参加を促す広報活動。そして、参加していただいた方々へ島根および松江の良さを紹介することでした。

なにせ、島根県に対する認知度は全国でも最低レベル。「吉田くん」(「秘密結社 鷹の爪」のキャラクタ)がよく自虐ネタで使う「島根県は鳥取県のとなりです」と言っても、鳥取県そのものも知られていません。また、「吉田くん」といっても、それほどキャラクタが浸透していない有様です。私が使った方法は、「松江はテニスの錦織圭君の出身地。そして、私の息子と同じ小学校」。どの程度、効果があったかは定かではありません。

さて、島根のキャッチフレーズは「神話の古里」です。イザナミを主祭神とし、本殿が現存する最古の大社造建造物として国宝に指定されている神魂(かもす)神社。スサノオおよびクシナダヒメガが仲良く祭られている八重垣神社。そして、ご存じオオクニヌシノミコトが祭られる出雲大社。ここらは、「古事記」「日本書紀」を一読したことのある人なら欠かすことのできない必見スポットです。大会の開会式では、浜田商業の郷土芸能部が「大蛇」を披露してくれました。県外から来られた参加者には石見神楽をはじめて見る方もおられ、神話の世界への案内役となったことでしょう。

小泉凡先生(島根県立大学短期大学部教授)の講演は、「小泉八雲」「怪談」という文化資源をいかに観光や地域振興、まちづくりに生かしていくかがテーマでした。これも、松江城周辺の観光資源として松江を象徴するものです。先生の講演を聞き、改めて堀川遊覧船に乗りたくなりました。城山の暗がりに「小豆あらい」(八雲は「小豆とぎ」と言いました。『小豆とぎ橋』は恐ろしい怪談話です)を見つけられそうな気がします。

最後に、「水の都」を「食」の観点から紹介するキーワード「すもうあしこし」。これは、宍道湖七珍の頭文字です。「す」は「すずき」。「も」は「モロゲエビ」。「う」はうなぎ。「あ」は「あまさぎ」。一般的には「わかさぎ」と言います。「し」は「白魚」。「コ」は「コイ」。「シ」は「しじみ」です。この時期、7つすべて賞味することは難しいですが、「しじみ」だけは年がら年中あるので、朝食で味噌汁としていただいてもらえたと思います。

こんな感じで全国の先生方に紹介したところです。島根や松江を紹介するネタは持ち合わせておきましょう。コミュニケーションツールになるはずです。
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2016年8月1日
 
黄門様御一行
 
7月15日(金)には、中国・四国地区高等学校PTA連合会大会香川大会に参加させてもらいました。PTAの会長さん、副会長さんとご一緒の珍道中。誰が黄門様で、誰がお仕える助さん格さんかは定かではありませんが、水戸黄門時代劇の雰囲気を味わう旅となりました。

というのも、この地を治めた高松藩初代藩主は、水戸光圀公の兄君にあたる松平頼重。三男であった光圀(黄門様)が水戸徳川家を継承し、長男にあたる頼重が讃岐高松藩に養子に出されたことについては、『光圀伝』(冲方丁著)に面白く描かれています。

研究大会終了後、頼重も眺めたであろう「栗林(りつりん)公園」を訪ねてみると、その雄大かつ緻密に計算しつくされた趣向は目を見張るものでした。地元のボランティアガイド(小学校の先生であったそうです)さんの解説もよろしく、約1時間にもおよぶ黄門様御一行の散策。いや行軍であったかも?園内はほとんど砂利道で、おまけに革靴。旅慣れていない、いや歩きなれていない、初老の三人衆には若干身に堪えるものでした。

研究大会での講演は演出家宮本亜門氏で、「違うから面白い、違わないから素晴らしい」というテーマでお話しいただきました。我々の世代には、インスタントコーヒーのCM「違いのわかる男」として登場したイメージが強く、講演タイトルもそれを連想させるものです。自己の生い立ち、演出家としてのこだわり、沖縄での生活等、楽しい話が満載でした。人はそれぞれ違うものであり、それをお互いに認めようとする姿勢が大切であると痛感させられました。

香川県特産「うどん」の話もありますが、今回はここまで。本題(研究大会)の報告が少なくて恐縮
栗林1 栗林2
 
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2016年7月25日
 
土用丑の日
  
 「土用丑の日」(7月30日)を目前にし、ふっくら香ばしい鰻の蒲焼が恋しくなります。今年はたまたま土曜日ですが、決して「土“曜”“牛”の日”」ではありません。まして、牛肉を食べる習慣はありません。ちなみに、「土用」とは、二十四節気(1年間を24等分、概ね15日を一区切りにして、その分割点を含む日に季節を表す名称を付したもの)の四立(立春、立夏、立秋、立冬)の前、約18日の期間のことです。また、「丑の日」とは、12日周期で割り当てられている十二支日(子・丑・寅・卯・辰・巳・午・未・申・酉・戌・亥)の一つです。従って、「土用丑の日」は夏に限ったことではなく、各季節に存在することになります。

そもそも、夏の「土用丑の日」に鰻を食べるようになったのは、江戸時代中期の思想家あるいは発明家として活躍した平賀源内の発案によるものとされています。本来、鰻の旬は冬であり、夏は鰻が売れません。困った鰻屋が平賀源内に相談したところ、店頭に“本日丑の日”という張り紙をするように勧めました。そうしたら、江戸中の鰻屋がそれを真似し始め、結果、鰻屋が繁盛したという話からです。「丑の日」にちなんで、“う”の字で始まる食べ物を食べると夏バテしないとの風習も後押ししたと言われています。

さて、鰻にまつわる小噺に「ケチと鰻屋」があります。鰻屋のとなりに居を構えたケチな男が、鰻の蒲焼の匂いでご飯を食べていました。それに腹を立てた鰻屋は“匂い代”を男に請求したところ、男はチャリン、チャリンと銭の音をたて、「俺は、匂いだけ嗅いでいるんだ。そっちは音だけ聞いて帰りな。」と言った話です。

「形のないものには形のないもので返す」というこの小噺のオチは、日本人の感性ならではものでしょう。いや、欧米にも「ステーキの匂いでパンを食べる」などという話があるかも?

  
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2016年7月20日
 
1学期終業式
 
 本日をもって1学期が終了します。そして、待ちに待った夏休み。「あれがしたい、これがしたい」と心躍る人もいるかと思います。

私から君たちにお願いしたいことは「プチ・チャレンジ」。普段は、勉強と部活との毎日です。是非、この夏休みというまとまった時間を有効に使い、積極的に体験活動を行ってください。自然体験活動、社会体験活動等、視野の拡大をねらった外向きな体験だけでなく、読書活動、創作活動等、自分を見つめなおす機会ともなる内向きな体験も君たちの成長を支えるものです。未体験ゾーンへの挑戦を期待します。

ただ、3年生は進路選択という人生の岐路に立っています。自己の進路実現に向けて全力で取り組まなければなりません。将来の設計図、少なくとも青写真を描いた上で就職先、進学先を決めてください。進学したとしても、いずれは就職します。進学後の職業をしっかりとイメージした上で進学先を決めることが大切です。

職業選択においては、「生き生きと働く」という言葉をキーワードにしてもらいたいと思います。「働く」とは、ただ単に収入を得るものではありません。仕事への「やりがい」なり、「生きがい」があってこそ、生き生きと働くことができます。社会人となれば、時間および労力の大半を働くことに費やされ、職業生活の充実は家庭生活同様に人生を左右するものです。自己の興味・関心、適性を見極め、将来、生き生きと働けるという手ごたえを掴んだうえで進路選択を行ってください。

さて、6月の高校総体報告会で「三感王を目指せ」という話をしました。

人が何か事をなすには、「感心・感動・感謝」が必要となります。もう一度おさらいしてみましょう。始まりは「感心」からです。自分の感性に響く、あるいは琴線に触れる出会いから物事は始まります。そして、出会いは体験へとつながり、「感動」体験を積み重ねることにより対象物への思いはより深くなります。さらに、成功体験を伴うことにより、自分一人では成し遂げられなかったことを実感し、「感謝」の気持ちが芽生えます。最後は、周囲の方々への「感謝」を言葉にして伝えなさいと話しました。

その後、「三感」を私なりにもう一度考えてみました。今日は、その紹介です。「三感」の英語バージョンです。

「感心」をローマ字表記してみてください。「Can Shine」(若干、“力業”で読ますことはご容赦)です。「You」をつければ、「You can shine.」(あなたは輝ける)。文化祭のテーマも「輝」。「The place where we can shine.」でした。「感心」は「輝き」につながるものです。

次に、「感動」。「Can Do」です。「I can do it.」(私はできるんだ)。「 You can do it.」(君ならできるよ)。自分を肯定的に受け止め、相手を励ますこともできます。「感動」は人を元気づけるものとなります。

そして、「感謝」。「Can Sure」(“力業”は、もはや“剛腕業”か?)です。「確かなもの」を自覚すると、感謝の気持ちも芽生えるはずです。「I can sure use it.」(ありがたいわ)となります。

ほとんど“ごろ合わせ”ですが、一生懸命に知恵を絞ることが大切です。こうした営みは知識を知恵に変換していく知的生産活動です。

最後に、今一度、夏休み中の「プチ・チャレンジ」を君たちに期待し話を終えます。

     
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2016年7月11日
 

サラリーマン川柳
 

今回で29回目となるサラリーマン川柳(第一生命主催)。今年も思わず“うまい”と唸る優秀作品が目白押しでした。作品の優劣のポイントは、世相を反映しているか、ユーモアやウィット、時に自虐ネタがあるか、そして、人々の共感が得られるかです。また、句(川柳)そのものだけでなく、作者名までが一つの作品であるということです。句と作者名がハマった時は、おもしろさが2倍になります。

 

今年の第1位は「退職金 もらった瞬間 妻ドローン」(作:元自衛官)。

熟年離婚とドローンがうまく表現されています。首相官邸にドローンを飛ばした元自衛官の事件も作者名から連想できます。文句なく最優秀賞は納得できるところです。

 

第2位「じいちゃんが 建てても孫は ばあちゃんち」(作:川亭)

じいちゃんの渋顔が浮かびます。川亭?

 

第3位「キミだけは オレのものだよ マイナンバー」(作:マイナ)

嫁さんや家族に見放されたとしても、マイナンバーだけは一生もの。

 

個人的には、第19位「部下のいう 課長“やばい”は ほめ言葉」(作:無粋上司)がウケます。“やばい”の使い方に世代間格差を感じます。ちなみに、“やばい”の語源は、江戸時代の「矢場」(射的場 裏商売もあったとか?)から。あまり、いいイメージはありません。

 

それでは、私の作品を披露します。

「山の日も 遭遇恐れ 森くまへ」(作:パン食いしん坊)

全国チェーン店ではないので、地域限定作品です。松商生ならわかると思います。

 

ちなみに、昨年、浜田商業(通称“浜商”)に勤務していた時の作品。

「浜省(ハマショウ)と 変換ミスで 口遊(くちずさ)む」。(作:鼻うた名人)

パソコン特有の変換ミスです。思わず「浜田省吾」の歌を口ずさんでしまいました。

 

君達も挑戦してみてください。

   
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2016年7月4日
 
一善飯
 

若い時、先輩教員から「メシ食ったか?」と言われ、よく夕ご飯をご馳走になりました。薄給で何かと入用であった“青年教師”にとっては有り難いお誘いでした。また、仕事上の悩みを聞いてもらったり、貴重な“人生訓”(いいこと悪いこと含めて)を傾聴したことが今の自分のバックボーンとなっています。ご飯を食べることは元気の源。さらに、人と一緒に食事をすることで、プラスαの効用も期待できるというものです。

ベストセラー石原慎太郎著『天才』の後押しもあってか、元総理「田中角栄」が再評価されています。「オイ、メシ食ったか!」。角栄が人に会うたび、口癖のように言っていた言葉です。「腹が減っては、戦はできぬ」が信条で、来客に料理をふるまったそうです。角栄が好んだのは、質素な家庭料理。とりわけ、「いなり寿司」「ブリ大根」が定番料理。愛情あふれる家庭料理であったからこそ、人心をつかむことができたのでしょう。

最近の若者はあまりご飯を食べないようで、若者のコメ離れは深刻です。20代男性では2割にのぼる者が月に一度も米を食べないとか(農水省:食生活実態調査による)。男性だけでなく女性も、若い人ほど米を食べないという傾向にあるようです。そこまでひどくはないと思いますが、高校生においても同様の傾向があると思います。運動部であっても「メシを食べない」という声も聞こえてきます。食べたとしてもご飯は一善まで。お代わりをしないというのは、いかがなものでしょうか?

そもそも、“一善飯”は忌み嫌うものでありました。“一善飯”は盛り切り飯とも言われ、神や死者のために供した一善限りの飯(箸を立てたりします。また、枕飯とも言われたりします)のことです。時に、結婚に際し、嫁となって出ていくわが娘が再び家に還らぬように、つまり、別れを意味する儀式として“一善飯”が盛られることもありました。“一善飯”とは、“死”や“別れ”をイメージするものとして、不吉に思う感覚がかつての日本人には根付いていたはずです。今やその感覚は皆無と言っていいでしょう。

夫婦は共働き、帰宅時間が遅い。子供は、塾や部活動で帰宅が遅くなる。こうした状況では、一家団らんで一緒に食事をすることが難しくなります。家族はそれぞれで食事をとるといういわゆる“個食”(さらにひどいのは“孤食”)が“一善飯”に拍車をかけています。

家族で腹いっぱいご飯を食べる習慣をもう一度取り戻す努力が必要です。主食がご飯でなく、お菓子になっている人はいませんか?健康な体をつくるため、ご飯を食べることを再認識しましょう。元気よく“お代わり”ともう一善。せめてもう半善ご飯を食べることを望みます。そうすれば、体が丈夫になるだけでなく、食卓の時間も長くなり家族団らんの時間も増えることとなります。
   
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2016年6月27日
 
悠久の時を超えて
 

趣味と言うにはおこがましいですが、ふと思い立って山登りをすることがあります。今回は「茶臼山」(子供のころ一度登ったきり、およそ50年ぶりの登行)。「山代二子塚古墳」(湖東中グランド前)から歩き始め、せいぜい20分足らずで登頂でした。

私にとっての登山は、ウォーキングの延長線上にあるもので、身体への負荷が歩きながら考え事ができる程度のものとしています。固有の山に例えるなら、せいぜい三瓶山まで。時間にして2時間以内のものです。それ以上のものになると、我を忘れて登山に集中せざるを得なくなり、景色を楽しんだり、山にまつわる逸話を思い起こしたりすることができません。体だけでなく心に余裕のある登山が私のこだわりです。必ずしも登頂が目的ではないので、今流に言えば“トレッキング”でしょうか?

「茶臼山」は低山(標高171m)ながらも独立峰。四方、東西南北の見晴らしの良さは最高です。東は宍道湖、西は中海、そしてその向こうに大山を臨むことができます。北はだんだん道路・北山山地、南は意宇川(いうがわ)・意宇平野(おうへいや)です。とりわけ、意宇平野は「国引き神話」の最後の舞台となった「意宇の杜(おうのもり)」とも呼ばれ、国引きを終えた八束水臣津野命(ヤツカミズオミヅヌノミコト)が叫び声とともに大地に杖を突き刺したとする神地です。また、戦国時代においては尼子氏と毛利氏との合戦の舞台ともなっています。現在、頂上は500㎡ほどの平場になっており、茶臼山城主郭部であったことは想像に難くありません。悠久の時を超え、歴史ロマンを満喫できる「茶臼山」は魅力満載です。

突然ですが、「国引き神話」ドイツ語バージョンを掲載します。これは、以前、私が「国立三瓶青少年交流の家」に勤務していた時、ドイツ青年団の来訪者に披露したものです。語学堪能な教え子がいて、お願いして翻訳してもらったものです。ドイツ語はわからなくても、何か感ずるものがあるはずです。 

 
「国引き神話」
In alten Zeiten hatte ein Gott dises Land gegründet,
イン アルテン ツァイテン ハッテ アイン ゴット ディーゼス ラント ゲグルンデットゥ
aber er hatte das Gefühl, dass das Land zu klein sei,
アーバー エア ハッテ ダス ゲフュール ダス ダス ラント ツー クライン ザイ
und sammelte Inseln von vier Gebieten: Es waren Shinra (Südkorea),
ウントゥ ザメルテ インゼルン フォン フィア ゲビーテン: エス ヴァー シンラ (ズートコレア)
die Oki Dozen Inseln, die Oki Dogo Inseln, und die Noto Halbinsel.
ディー オキドーゼン インゼルン、ディー オキドーゴ インゼルン、 ディー ノト ハルプインゼル。
Dann hat er diese vier Gebiete mit Seilen verbunden,
ダン ハットゥ エア ディーゼ フィア ゲビーテ ミットゥ ザイレン フェアブンデン、
damit sie nicht weggehen. Die Pfähle waren der Berg Daisen im Osten
ダーミットゥ ズィー ニヒトゥ ヴェックゲーエン。ディー プフェーレ ヴァーレン デア ベアク ダイセン イム オステン
und der Berg Sanbe-san im Westen. Diese zwei Berge waren Pfähle.
ウントゥ デア ベアク サンベサン イム ヴェステン。 ディーゼ ツヴァイ ベアゲ ヴァーレン プフェーレ。
Die Aussicht von dem Gibfel Sanbe-sans kann beweisen,
ディー アウスズィヒトゥ フォン デム ギプフェル サンベサンズ カン ベヴァイゼン、
dass die Inseln mit Seilen befestigt wurden.
ダス ディー インゼルン ミットゥ ザイレン ベフェスティヒト ヴルデン。

(日本語 訳)

昔、この地に国を作った神様は、 土地が狭いということで、四つの地方より島(土地)を持ってきた。 一つは朝鮮半島の新羅、一つは隠岐島前、一つは隠岐島後、一つは能登半島。 そして、持ってきた島が離れないようにするために島に綱をくくりつけた。 そして、その綱は、東側は大山、西側は三瓶山につながれた。 二つの山は、杭の役目を果たしていました。 三瓶山の頂上からの景色は、半島沿いに綱が張られたという神話を想像させるのに十分なものです。
  
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2016年6月20日
  
記憶あれこれ
 

「あ、やっぱり先生の“声”だ。昔と変わらないですね」。

先日、ある会合で24年ぶりに教え子と再会しました。お互い当時の風貌とは若干(私の場合はかなり)の変化はありましたが、昔話をするうちに記憶が蘇り、セピア色した思い出も一瞬にして鮮明になりました。心和むひと時をくれた教え子に感謝です。

冒頭の会話にもあるように、教え子には私の“声”つまり聴覚による記憶が深く焼き付いていたようです。記憶は視覚的なものだけでなく、聴覚、味覚、臭覚、触覚、いわゆる五感全般にわたるものであること改めて感じました。

味覚の記憶と言えば、“おふくろの味”。味噌汁、たまご焼き、カレーライス等、その家ならではの懐かしい味があるものです。また、食べ物の場合には、味と同様に“匂い”つまり臭覚も記憶として伴うことが多いと思います。ちなみに、脳科学的には臭覚と記憶とは密接な関係があるようです。“匂い”の情報を処理する場所と“感情”を司る場所が同じ大脳辺縁系(海馬・扁桃体など)だということが根拠とか?真実のほどは定かではありませんが、“匂い”によって記憶や感情が呼び覚まされることは起こり得ることです。

さて、私の聴覚的な記憶として一つ紹介します。映画「パピヨン」(犬ではなく蝶です)。主演はスティーブ・マックイーン、助演はダスティン・ホフマン。無実の罪により流刑となった胸に蝶の入れ墨をもつ主人公パピヨンの脱獄劇です。映画のストーリーもさることながら、“誰”と映画を見たかがより印象深く、青春の“淡い”思い出の映画です。蝶の絵や写真を見たりすると、映画のテーマ曲が頭に再生されることがあります。

一方で、記憶は失われていくものでもあります。特に、加齢によるものは抗うことができません。「あれ、これ」とまだ言っている間は大丈夫か?しかし、こうなれば要注意。

「言ったことは忘れ 言おうとしたことまで忘れ 忘れたことも忘れました」

綾小路きみまろ
 
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2016年6月13日
 
「虫の目、鳥の目、魚の目」
 

物事を見極めるには、「虫の目、鳥の目、魚の目」が必要だと言われます。対象物に近づき、細部までじっくり観察することを「虫の目」と言います。

本校敷地内では、4月の後半は「ツツジ」、5月の後半には「サツキ」が満開となります。一見、両者の違いは分かりづらいもの。花が咲く時期で、区別もできるでしょうが、もう少し説得力のある説明はできないかと思い、「虫の目」で観察してみました。写真では分かりづらいかもしれませんが、おしべの数に両者の違いが見られます。明らかに「ツツジ」のほうが多い。少しネットで調べてみますと、「サツキ」はどの個体でもほぼ5本。「ツツジ」は、5本から10本で個体によってかなり違いがあるとのことでした。

子どもの頃、「ツツジ」の蜜を吸ったという経験がある人もいるでしょう(今の若者はやらないか?)。実は、「ツツジ」の種類によっては毒性があるそうです。大田市の花でもある「レンゲツツジ」がそれに該当します。5月のゴールデンウィークの頃、三瓶山では満開の美しい「レンゲツツジ」を見ることができます。花の色はオレンジ色。時に“ビタミンカラー”と表現されるケースもあるようで、その美しさから元気がもらえます。美しいものには“トゲ”ならぬ“毒”があるというところでしょうか。

「虫の目」から始まった話でしたが、人には「鳥の目」や「魚の目」も必要とされます。少し離れて遠くから観察する「鳥の目」。物事を俯瞰して、いや鳥瞰的に見る観察眼です。「木を見て森を見ず」という言葉に代表されます。「魚の目」とは、流れを読み取る力です。「時流に乗る」、「時代の流れを先読みする」ということです。ビジネスの世界では、もっとも重要視されるものです。3つの目の“視力向上”を期待します。

今話題の“第三者の厳しい目”。ここでも、3つの目が必要となるはずですが・・・。
さつき つつじ
  
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2016年6月6日
 
三感王をめざせ 
 

高校スポーツ最大の祭典、高校総体予選が終了しました。松商健児諸君、有終の美を飾ることが出来ましたか? 

全国大会出場権を得た男女バドミントン部、女子ソフトテニス部、また、出場権を競う中国大会へ進出した女子サッカー部、水泳部、陸上部の諸君、よく頑張りました。おめでとう。島根県の代表という立場で、矜持をもって戦ってきてください。そして、何よりも自分自身のために、部活にかけた青春の日々の集大成として完全燃焼して欲しいと思います。 

残念ながら結果を残すことが出来なかった諸君、恥じることはありません。勝利という結果は残せなかったかもしれませんが、自分自身の心の中には「やり遂げた」という達成感はあるはずです。これは大きな成功体験です。何事も、「やり遂げる」あるいは「やり続ける」ことは難しいものです。しかし、それが達成できた時、人は大きく成長します。また、自分が行ってきたことを肯定的に受け止め(自己肯定感)、自分に自信を持つことができるようになります。 

思い出してください。はじめて、その競技に出会った時のことを。“おもしろい”、“かっこいい”と深く心で感じ取ったはずです。物事はすべて「感心」からスタートします。そして、自分自身が体験することにより、「感心」は「感動」へ変化するようになります。さらに、「感動」体験を重ねるごとに、プラスの連鎖が生じてより深く競技に集中できるようになったはずです。そうしたサイクルを皆さんは繰り返してきました。 

ただ、ここで終わりではありません。一流のアスリートは、「勝ったのは人のおかげ、負けたのは自分のせい」とよく口にします。もう一つ、「感謝」という過程を経ることにより完結形となることを忘れてはなりません。お世話になった方々に「感謝」の気持ちを伝えてください。それは、自身の「感動」をシェアする行為で、結果、「感動」を共有することとなります。また、「感謝」の行為は“言葉”で行ってください。「感謝」の「謝」の字は、「言」(口に出して言う)で相手の心を「射」(いる)と書きます。自分の気持ちをしっかりとした言葉で伝えてこそ、「三“感”王」の達成です
 
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2016年5月30日
 
 女子サッカー部優勝
 

1対0での辛勝でした。ペナルティーキックを取られた時には同点を覚悟しましたが、キーパーのナイスセーブ。最後まで集中を切らすことなく、よく頑張ってくれました。

5年連続5回目の優勝、おめでとう。是が非でも、中国大会を勝ちあがり、悲願の総体での全国大会出場を期待します。

さて、女子サッカーといえば、宮間あや選手がFIFA女子W杯2015カナダ大会で言った「女子サッカーをブームではなく文化にしたい」という言葉を思い出します。とてつもなく深い言葉でした。

そもそも文化とは?様々な定義がある中で共通するものと言えば、「広く社会に受け入れられ価値観を共有できるもの」ということです。10年ほど前までは、女子でサッカーをやっている人というのは珍しい存在でした。それが「なでしこジャパン」の活躍もあり、競技人口は徐々に増え、今や女子サッカーは誰もが認知するものとなりました。ファンやサポーターも多くなり、大きなうねりになっていることは間違いありません。ただ、まだまだ男子に比べると選手層は薄く、さらに、プロスポーツとしての成熟がもう一つ。宮間選手はこのことを問題視しているようです。「なでしこリーグ」の選手の多くは、企業で働きながら、選手によってはアルバイトをしながら競技をしているという話も聞きます。さらには、憧れのスター選手の登場も「なでしこリーグ」が名実ともにビジネスとして成立するための必須条件です。「澤 穂希」に続く選手が登場しなければなりません。

本校の女子サッカー部から第二の「澤 穂希」が登場する?いつの日かそんな日が来ることを願いながら、ぬかるんだグランドを必死にボールを追いかける選手諸君を応援していました。
 
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2016年5月23日
 
勝負脳のコントロール
 

♪勝つと思うな~ 思えば負けよ♪ ・・・

昭和歌謡界の女王、美空ひばりが歌った『柔』という歌の一節です。

 

相手に「勝とう」、「勝った」と思った途端、勝ちを意識するあまり体が動かなくなり、勝利を逃すことがあります。先日のバレーの試合、日本対タイ戦(リオ・オリンピック予選 、6点差をひっくり返しての大逆転勝利)において、タイの選手がまさにそうであったのかもしれません。

 

サッカーの試合でもよく見られます。終盤(残り5分)、1点リード。選手交代でディフェンスの選手を入れて守りに入る。作戦としては至極当然ですが、ここに落とし穴があります。選手は監督の意思を敏感に受け止め、あと数分、相手の攻撃を凌げばよいという消極的な姿勢となります。そのまま逃げ切れることもありますが、同点とされ延長戦になった場合には、逆転負けを喫するケースが多いようです。それは、一度「勝った」あるいは「勝っていたのに」と思った瞬間、心身ともに戦う姿勢がリセットされてしまうからです。再度モチベーションを攻撃な姿勢に切り替えることは難しいかもしれません。

 

人間誰しも、勝ち負けは意識するもの。「勝つ」、「負ける」という勝負に対する脳の働き「勝負脳」をいかにコントロールするかが大切です。

では、どうしたらよいか?

勝とうと思わず、全力を尽くすということだけに意識を集中することです。平常心を保ち、自分の力を発揮すればよいと思い続けるしかないでしょう。「勝負は下駄をはくまでわからない」という諺もあります。全力を尽くすという、戦う姿勢を試合終了まで持ち続けることを、この総体に期待します。

 

こんなことを考えていたら、昔、中学校の時に(?)習った「徒然草」の一説を思い出しました

『あやまちすな。心して降りよ』(高名の木登り)

木登り名人が弟子に木登りをさせた際、高い位置にいた時には何も言わなかったのに、木を降りてもう地面までそこまで、飛び降りることさえできるところにきた時に「気をつけて降りろ」と言った話です。
  
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2016年5月17日
 
バカボンのパパ作戦
 

高校スポーツ最大の祭典「高校総体(インターハイ)」への出場権をかけた県予選大会を目前に控え、選手強化のためのパワーアップ週間が本日よりスタートしました。3年生にとっては、最後の大会となる人もいるかと思います。3年間の集大成、悔いのないよう思いっきり戦って欲しいものです。どんなに強い相手であったとしても、自分の力を信じプラス思考で勝負を挑めば必ずや道は開けるはずです。

先日、昨夏の甲子園大会で大活躍した清宮幸太郎選手を擁する名門・早稲田実業に都立の昭和高校が春季高校野球東京大会2回戦で勝利した(昭和6-2早実)ことが話題となっています。まさに、この勝ち方が痛快で、勝負の世界に身をおく者すべての人に参考となるものです。

名付けて“バカボンのパパ作戦”。昭和高校野球部森勇二監督の秘策であったようです。バカボンのパパの口癖「これでいいのだ」は誰もが知るところ(いや、今の高校生は知らないかも?)。それを選手に浸透させたのが勝因であったようです。

得てして、相手が強いと消極的になり、過剰に相手を意識するあまり自分の力を発揮でないことがあります。「こうなったらどうしよう」「こうだったら良かったのに」等、悲観的な考え(マイナス思考)ばかりだと、勝てるはずがありません。相手と戦う前に自分との戦いに負けています。

森勇二監督は、選手を前向きにプレーさせるために、マイナス思考の打破として「バカボンのパパ作戦」を決行。部室のホワイトボードには「人間万事、塞翁が馬」(中国の故事・・・幸せが不幸に、不幸が幸せにいつ転じるかわからないのだから、安易に喜んだり悲しんだりすべきではないというたとえ)という言葉に続けて、「これでいいのだ」「“~のに”を“~のだ”に変える」と記したそうです。この作戦が功を奏し、選手は「これでいいのだ」を合言葉に、プラス思考で早実戦に臨み見事に勝利しました。「バカボンのパパ作戦」恐るべし。

自分の力を最大限に発揮するには、プラス思考が大切だという一例です。

松商健児諸君、「これでいいのだ」で勝負せよ! 
 
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2016年5月9日
 
島田のタケノコ
 

この時期、タケノコが美味い。

先日、知人より島田のタケノコをいただき、春山の恵みを堪能させていただきました。安来市島田(しまた)町産のタケノコは、知る人とぞ知るタケノコの高級ブランド。もう、15年も前になるでしょうか、”タケノコ掘り名人”こと島田加工農業協同組合長さんのご指導により、生徒数名を伴ってタケノコ掘り体験をさせていただいたことがあります。赤土質のきれいに整備された山、また、暗すぎず明るすぎず絶妙の光加減の木漏れ日。こうした環境で育ったタケノコだからこそ、繊維が細く柔らかくて香り高いものになると聞きました。良いタケノコとは、穂先をわずかに出したところ(しかも黄色)を収穫したもので、素人にはその穂先を見つけるのは至難の業でした。時々、「先生、タケノコを踏んどるがね!」と注意されながらも、何とか上物を収穫。取れたてのタケノコは生で刺身にしても食べられるということで、さっそく、わさび醤油で口に運ぶと思わず舌鼓。そのおいしさは、今でもはっきりと覚えています。

ただ、タケノコの定番料理といえば、やはりご飯と煮物。そこに欠かせないのは、昆布だしです。かつおやいりこでも悪くはないのですが、ここは昆布にこだわりたい。愛称の良さといいましょうか、昆布だしの”うま味”が出しゃばることなく、タケノコの春らしいさわやかな風味を引き立ててくれます。

さて、この”うま味”。味覚の感覚「五味」の一つです。「五味」とは、甘味、酸味、塩味、苦味、うま味です。”うま味”は、20世紀になってから発見されたもので、しかも、日本人が発見しています。化学成分としては、グルタミン酸、イノシン酸等を言っており、いわゆる我々が普段「出汁(だし)が利いている」と表現するものです。昆布だしをとるには、結構、技と時間を要します。昆布の表面をさっと吹き(ゴシゴシやり、うま味成分の白い粉までふき取らないこと)、水に30分程度つけるところから始まります(以下省略)。

一方、タケノコもそのままでは食べることはできません。あく抜きが必要です。ぬかと一緒に1時間程下ゆでをして、さらに、一昼夜置いておくことが肝要です。このように、おいしいものを食べるには時間と労力が必要となります。ただ、この”スローフード”がどれだけ、人としての感性を養うのに効果的か計り知れないものがあります。

味覚にはメカニズムが存在します。べろの味蕾(みらい ぷつぷつです)から五味を抽出し、それが脳に伝わります。さらに、過去の経験に照らし合わせて、おいしさの評価が行われ、時にそれは感動を誘発させます。するどい味覚は、脳を活性化し五感をも鋭くするものと言えるでしょう。そして、その味覚は、“ファーストフード”ではなく、“スローフード”で鍛えられるものです。天然のものを材料とし、時間をかけて作った食べ物こそが、我々の体が真に欲しているものだからです。太古の昔からの食習慣により培ったDNAは、現代人にも必ず存在するはずです。

「そんなこと言っても、そんな時間はないよ」という言葉が聞こえてきそうです。“ファーストフード”をまったく否定するものではありまえん。ただ、毎日とは言いません。たまには、家族とゆっくり料理をするのもよいでしょう。

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2016年5月2日
 
ハナミズキ
 

“瑞木が丘”の春は駆け足で、ソメイヨシノから八重桜、そしてハナミズキへバトンタッチ。この地“瑞木が丘”を象徴する花が真っ盛りです?と思いきや、意外にも敷地内でハナミズキを見つけるのは注意を要します。生徒昇降口横、北側の土手沿いに植えられており、本数的には10本程度というところでしょうか。

この“瑞木が丘”という地名の由来は、1985年(昭和60)に上乃木校舎(現在の松江西高校辺り)から現在の浜乃木校舎に移転したときにさかのぼります。当時の第22代 畑 栄 校長の「上乃木校舎“青木(おおぎ)が丘”と同様の愛称が必要だ」との思いから命名されたと聞いています。ハナミズキはもともとこの地に樹生していたのでなく、後から植樹されたものと思われます。従って、敷地内どこにでも見かけるというものではありません。

ハナミズキの花言葉は、「永続性」。一青窈の名曲「ハナミズキ」にも、「君と好きな人が百年続きますように♪・・・」と歌われるように、松江商業が永遠に続いて欲しいという願いがあったのでしょうか?また、「私の思いを受け取って下さい」という花言葉もあるようで、この“瑞木が丘”で淡い恋心を抱き青春の日々を送って欲しいというロマンチックな思いもあったのかもしれません。若干、妄想気味なところもありますが、先人の意図や意思を体して、生徒諸君が一生懸命に学校生活を送ることを期待します。

ハナミズキは、ピンクと白の二種類に大別されるようです。ピンクは可憐な感じ。白は清楚な感じ。“瑞木が丘”のハナミズキは、ほとんど白です。まさに本校の清楚な女生徒を象徴するものです(チョッと、盛っています)。男女に限らず、常に礼儀正しく、控えめながらも、ここぞという時には絶大なる存在感を発揮できる松商生にピッタリな花です。
ハナミズキ桃 ハナミズキ白
校舎とハナミズキ
 
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2016年4月25日
 
吾校健児が行く道は
 
春のスポーツシーズン到来。各部活動は中国大会予選真っ盛り。今年度も松商健児は大活躍をしてくれています。女子生徒に対して”健児”と表現することには、若干、抵抗がありますが、校歌四番の歌詞にもあるということでお許しあれ。この土日には、近隣で大会のあった女子バスケット、野球、女子ソフトボールの応援に出掛けました。

女子バスケットは思わぬ苦戦。決勝戦は、最大12点差をひっくり返しての逆転勝ちでした。内心冷や冷やして観戦していました。ただ、ベンチは落ち着いたもの。慌てず騒がず選手を信じきって戦えたのが勝因でしょうか。「油断大敵」、「勝って兜の緒を締めよ」のことわざ通り、総体に向け、よき経験になったと思います。

野球も、5回までパーフェクトに抑えられるという大苦戦。6回以降、打線が爆発、また、相手チームのミスに乗じて、結果的にはコールド勝ちになりました。勝因は、序盤打てなくても、焦らず我慢強く守れたところにあるかもしれません。辛抱強く、負けない野球ができたことをうれしく思います。

女子ソフトボールは、見事に準優勝。緒戦が最大の山場でしたが、そこで勝利できたことがこの好成績につながりました。力的には互角でしたが、わずかに本校に”球運”があったようです。レフト方向に飛んだ大飛球を好捕。次はセンター方向への強烈なライナー。今度こそ抜けたと思われたましたたが、これもキャッチ。さらにはライト前ヒットがライトゴロアウトになるなど、外野へ飛んだ打球3連発をすべてアウトとした守備が勝利を引き寄せました。

勝負の世界には、”運”が付きものです。それは、”人知の及ばない”ものかもしれません。しかし、少しでも”運”を味方につける努力は出来ると思います。幸運を得るためには、「徳を積む」ことだとよく言われます。本校においては、校訓にいう「誠実・質素・勤勉」でしょうか。どんな形で幸運を呼び込めるかは、”神のみぞ知る”ところでしょうが、少なくとも人の応援は得られるはずです。時に、応援が本人の力以上のものを引き出すことがあります。今回、バスケット、野球、ソフトボールとも、たくさんの方々に応援していただきました。松商健児の頑張りが多くの方々に感動を与え、それが大きな声援となって返ってくるものと思います。

応援に行けなかった他の部活動について、朝礼時、報告受けました。女子バドミントンは、団体、シングル、ダブルスとも優勝で3冠達成。男子バドミントントンは団体で2位。また、弓道、剣道ともあと一歩とのことでした。先週行われたバレーボール男女でも、次の総体に向けて着実に力をつけているようです。松商健児の総体での活躍が期待されます。

<校歌四番>

吾校健児が行く道は

誠実質素勤勉ぞ

学びの業をいそしみて

国家の富をはかれかし
 
野球 バスケット ソフトボール

 
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2016年4月18日
 
熊本地震
 
今回の「熊本地震」で亡くなられた方々にお悔やみ申し上げます。また、けがや病気、さらには、家屋の倒壊、道路の崩壊等、被災された方々にお見舞い申し上げます。
14日夜(9時26分頃)に発生した熊本地震。かつて経験したことのない震度7という揺れ、その恐怖は想像を絶するものであったと思います。そして、この地震が本震ではなく前震であったことが驚きでした。最初に発生した地震はマグニチュード6.5。本震とされる16日未明(1時25分頃)に発生した地震はマグニチュード7.3で、地震の規模は前震の16倍にもなると報道されました。余震にそなえ、非難を余儀なくされている方々は、11万人にも上るとのことです。救援物資の不足、居住スペースの制約、さらには、情報手段も確保できず、不自由な生活が今なお続いているようです。また、地震に対する恐怖、PTSD等、精神的なストレスが限界に達している人もいるかもしれません。当たり前であった生活を一瞬にして失った苦悩。不満のぶつけ先を見いだせないジレンマ。お気持ちを察するところです。
我々が惻隠の情をもって出来ることは、なんでしょう。復興を願い支援できることとは?募金活動。熊本産の商品を買うこと。ボランティアで出向くこと。被災された方々の受け入れ。出来ることは何でもしましょう。仮に、形では示すことが出来なくても、復興を願う気持ちを持ち続けることが大切です。これは、「熊本地震」に限らず、「東日本大震災」にも言えることです。そして、この気持ちが日本人の『弱い紐帯の強み』(米国の 社会学者マーク・グラノヴェッター)と言われる所以です。仮に、一つ一つが弱い「人との結びつき」であったとしても、それを束ねれば大きな「絆」となることを言います。
持ち続けましょう、復興への願いを!
 
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2016年4月12日
 
SSD研修に寄せて
 
松商恒例の「SSD研修」が始まりました。今日から2日間、「松商生」になるための研修および若干の鍛錬です。これは、高校3年間が楽しく充実した時となるよう、また、高校生活のよきスタートを切るためのものです。
高校時代といえば、思春期の後半戦です。あえて「戦」と書くのは、「葛藤」、「不安」、「悩み」、時には「挫折」等、様々な経験をするなかで、最後は「自分との戦い」に勝ってほしいからです。思春期の前半戦は、「自我の芽生え」であり、主に体が大人へ変化する時期です。後半戦は、「自我の確立」であり、心が変化する時期だと言われています。「自分とはなんだろう」、「自分はどう生きたらよいだろう」、こうした悩みを持つ人もいるでしょう。
もともと、自我とは何でしょう。辞書等の定義では、「自己同一性」、「アイデンティティ」といった説明がなされていますが、よく分からないのも当然です。私自身も、正直、未だに「自分とは何ぞや」と問われても、答えようがありません。一つだけアドバイスできるとすれば、自分を俯瞰して見られるようになれば思春期からの卒業だということです。俯瞰?これも難しいですね。カーナビや地図アプリをイメージしてください。地図上に自分がいるとして、その自分を眺めているというイメージでしょうか?「俯瞰」という言葉の同意語として、「鳥瞰」という言葉あります。この言葉のほうがこの説明にあっていると思います。つまり、鳥の目をもって上から自分を見る力とも言えるでしょう。
思春期は、「自分探しの旅」と言ったりもします。自分自身の地図を持ち、しっかり旅してください。物理的な旅ではありません。「心の旅」です。人との出会い、様々な行事での感動体験、読書等を通して素敵な旅をすることを願っています。
「心の旅」を終えた頃には、「第二の誕生」(フランスの思想家 ジャン・ジャック・ルソーの言葉)です。社会人として生まれ変わることになるでしょう。
高校時代は、人生の原点ともなります。いざとなったら帰ることのできる場所です。人との出会い、切磋琢磨した青春の日々は、かけがえのない人生の財産です。皆さんにとって高校3年間がそうした場所となるよう、応援し続けたいと思います。
頑張れ、新入生諸君! 
 
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2016年4月8日
  
平成28年度入学式 「校訓『誠実、質素、勤勉』から学ぶ」
 
瑞木が丘の春は例年より早く、校舎周辺の桜の花も葉桜になろうとする今日の佳き日、振商会会長山下裕國(ひろくに)様、一般財団法人振商会理事長原正道様、PTA会長安来弘喜(やすぎひろよし)様、そして島根県教育委員会からは教育委員広江千年(ちとし)様をはじめとするご来賓の皆様のご臨席を賜り、平成28年度島根県立松江商業高等学校入学式を挙行できますことを、ここに、衷心より感謝申し上げます。
ただ今入学を許可しました200名の新入生の皆さん、入学おめでとう。在校生、教職員一同、心より皆さんの入学を歓迎します。今日から始まる高校生活の一つ一つの出来事が、青春の軌跡として皆さんの心に刻み込まれていくことを考えると、是非とも、楽しく充実した毎日となってほしいと強く願うものです。
また、お子様の成長を慈しみ暖かく支えて来られました保護者の皆様、本日は誠におめでとうございます。私ども教職員一同、これまでのご労苦に対しまして敬意を表しますとともに、お子様の進路実現を願って、全力を尽くし教育にあたることをお誓いいたします。
本校は、西暦1900年明治33年、全国で32番目、山陰では始めて創立された歴史と伝統のある商業高校です。卒業生は24,134名、文武両立の校風のもと学業および部活動において輝かしい実績を残すとともに、卒業後は校訓にある「誠実、質素、勤勉」を心がけ、産業界ならびに地域の有意な人材として活躍しています。今年度、本校は「Change 変革を求めよ!」を合言葉に創立117年目のスタートを切ったところで、変革年の立役者の一人として皆さんの活躍を期待するところです。
さて、皆さんは、将来への夢と希望に胸を膨らませ、これからはじまる高校生活に対して決意も新たにしていることと思います。そうした皆さんに、「未来を切り拓く」ヒントとして、本校の歴史、特に校訓に刻み込まれた教えに学ぶ話をしたいと思います。
朝の連続テレビ小説「あさが来た」が、先日、大好評のうちに終了しました。今年の流行語大賞の候補にもなるであろう「びっくりポン!」が口癖の女優波瑠さん。その波瑠さん演じる主人公のモデル「広岡浅子」は、現在の大同生命や日本女子大学の礎を築いた実業家であり教育者でもあります。その浅子が師匠としてあこがれた人物が今やスターの仲間入りをしたディーン・フジオカ演じる五大友厚でした。江戸から明治への混乱の真っ只中、日本経済の発展に尽力し、当時、東の渋沢栄一、西の五大友厚と言われた人物です。渋沢栄一は、番組では「銀行の神様」と言われていましたが、一般的には日本資本主義の父と称され、現在の一ツ橋大学の前身、東京商法講習所の創設者としても知られています。ちなみに、本校の初代から6代までの学校長は東京商法講習所から改名された東京高等商業学校を卒業した方々です。五大友厚は、大阪商業講習所、現在の大阪市立大学、大阪市立ビジネスフロンティア高校(昔の天王寺商業)の設立に係わり、大阪の経済の復興、発展に尽力しました。渋沢は「論語とそろばん」、「士魂商才」(武士の魂と商業の才覚)という言葉を残しています。五大は「信用と算用」(算数の算)という言葉を大切にしたと言われています。これらの言葉に共通するのは、商業道徳と商業技術です。現代風に言えば、倫理観や道徳心を中心とした人間力とビジネススキルとなります。
皆さんには、人に信用、信頼させる人になれるよう、人間力を磨いてもらいたいものです。そのキーワードが、本校の校訓「誠実、質素、勤勉」です。これは、本校の創立当時、つまり明治時代にできたものでありますが、その教えは陳腐化、また、色あせたものではなく、人間関係が希薄化しつつある現代社会においては、なお一層、必要とされるものです。どんなに、社会が情報化しようとも、ビジネスの世界においては、最後は人と人との結びつきで成り立ちます。「あの人に任せたら安心だ」、「是非、あの人にお願いしたい」という信頼関係の上でビジネスは成立するものです。その人間力の上に、ビジネススキルが伴えば鬼に金棒です。ビジネススキルについては、普通教科をベースにした教養教育の上に、簿記、情報、マーケティング等の専門教育によって自身のキャリアアップに努めてもらいたいと思います。新しい専門教科では、苦戦する人も出てくるかもしれません。本校の教員が懇切丁寧に指導していきますが、皆さんには校訓どおりの勤勉な姿勢が求められます。失敗を恐れることなく、前向き、積極的に、そして誠実に、知識、技術の習得に努めることを期待します。
最期に、保護者の皆様と私ども教職員は、本日より200名の将来を託された若者を育てるという共通の仕事を、協力して行うこととなります。お互いの理解と信頼関係が築けてこそ、その目的が達成できるものと思います。私ども教職員、全力を尽くしてお子様の教育に当たる所存です。何とぞ、保護者の皆様におかれましては、本校の教育活動にご理解、ご支援のほどよろしくお願い申し上げ式辞といたします。
平成28年4月8日 島根県立松江商業高等学校 校長 浜崎之義
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2016年4月7日
 
平成28年1学期始業式 「Change 変革を求めよ! 」
 
平成28年度、新たな年の始まりです。3年生は、最上級生となり下級生をリードする立場となりました。部活動、学校行事等で、リーダーシップを発揮してもらいたいものです。また、進路においては、自己の希望や適性をよく把握したうえで、各々の進路実現を達成してもらいたいと思います。2年生は、上級生と一緒になって松商のよき伝統や文化を下級生に繋げていく役割をしっかり果たしてほしいものです。また、将来の進路実現のため、地道に力をためる1年として、知識や技術の習得、研鑽に努めてください。
さて、皆さんは松商に入学後どのような変化があったでしょうか。私も、松商の教頭であった時から4年振りの勤務。この間、学校はどのようにあるべきか、また、如何に生徒の指導をすべきか、そうした問いに対して変化のあった数年間でした。かつて、オバマ大統領が大統領選でキーワードとした「Change」という言葉を強く意識することとなりました。
「ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。よどみに浮かぶうたかたは、かつ消えかつ結びて、久しくとどまりたるためしなし。世の中にある人とすみかと、またかくのごとし」。
これは、鴨長明の「方丈記」、冒頭の一説です。私の思想信条の根底をなすものとして、よく引用させてもらっています。一見変わらないように見える川の流れ、しかし、水中の水そのものは1秒前のものとは違います。目には見えないところで今の状態を保つための営みがあるわけです。逆に、変化があってこそ、今の状態が保たれると言っていいかもしれません。そして、長明は、「水の流れ」だけでなく、「人」も「すみか」も同じだと言っています。
「人」の場合は、60兆をも超える体内細胞が生死を繰り返し、数か月もすると細胞は一新されます。さらに、人の考え方もいついかなる時も正しいものではなく、時代とともに変化します。たとえ正義と言われるものであったとしても、絶対的な正義など存在しないと私は考えます。皆さんも変化を求め、自己の変革を心がけてください。失敗を恐れずチャレンジ精神を持って取り組むことが大切です。
「すみか」とは、学校に置き換えることができるでしょう。創立117年目となる松商には輝かしい伝統があります。しかし、今ある伝統も松商が変わり続けてきたからこそ存在するのです。教育には不易と流行という言葉があります。不易とは「変わらない」、流行とは「変わるもの」。しかし、これは表裏一体の関係にあり、「変わるもの」があるからこそ、「変わらないもの」を守っていけると思います。さしずめ、「松商だんだんフェスタ」、「IT人材育成」等の新しい取り組みが、松商に対する信頼や安心という「変わらない評価」に繋がっている気がします。
それぞれが、「Change! 変革を求めよ!」を合言葉に、自己変革、学校変革に努める1年になることを期待します。頑張りましょう。
最後に、明日は入学式です。200名の生徒諸君が我々の仲間となります。さすが、「松商生」だと思われるよう、気持ちよくさわやかな態度で迎えてもらうことを期待します。
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 2016年4月4日
 
ご挨拶「よろしくお願いいたします」
 
この度の異動で、本校の校長となりました浜崎之義(はまさきゆきよし)です。教諭、教頭、そして、校長として3度目の勤務となること、うれしく思っています。また、それぞれの立場で松商の職員として勤務できたことを誇りにも思っています。自身の人生において、最後の勤務地であろう松商で、校長としての職責を精一杯果たす所存です。よろしくお願いいたします。
すこし話が硬くなりました。この「校長室の窓」は、おもに生徒を対象とした応援メッセージコーナーです。また、生徒だけでなく保護者や地域の方々、そして松商を大切に思っていただいている松商ファンの方々への情報発信でもあります。肩の力を抜いて、読んでいただければ幸いです。
さて、この季節、春を視覚的に愛でるのは桜。そして、学校の入学式には桜が一番よく似合うものです。本校「瑞木が丘」の土手沿いの桜は今が真っ盛り。7日の入学式までもってくれたらと強く願うところです。
実は、この地域には「しだれ桜」の名所(浜乃木6丁目)があります。松江藩の家老であった旧大野家の敷地にあったもので、樹齢300年の「元禄桜」と言われています。その妖艶な美しさは見事というしかありません。老木に妖精が宿っている感じがして、別世界に引き込まれそうになります。私有地であるので、写真で紹介することがはばかられます。直接出向いて見ることをお勧めします。ただ、ソメイヨシノより若干開花が早いので、もう見ごろを過ぎているかもしれません(4日現在、まだ大丈夫です)。毎年、この時期に花を咲かせて300年。老木の生命力には驚かされます。大地にしっかり根を張り、水分、養分を吸収し続ける営みは人間には分かりづらいもの。桜を愛でることに感謝するとともに、時に地中での営みに思いをはせることがあってもよいでしょう。
こんな感じで私の思いを「校長室の窓」で書き綴るつもりです。週に一回程度と思っています(たぶん)。
それでは、よろしく“毎週”(郷ひろみの「よろしく哀愁」風に♪~)。
桜1 桜2
 
 
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